将来の夢が決まった話

 

前回の記事で、ぼくの人生の転機は3回あると言った。

 

1回目は、根拠のない自信が折れた高校2年の9月。

2回目は、将来の夢が決まった高校3年の2月。

3回目は、大学中退をやめることにした大学2年の3月。

 

1回目と3回目についての話はもう書いたから、今回は2回目の話をしようと思う。

1ヶ月前に話した、世界平和という夢を持つに至った経緯の話だ。

割と重く暗い話なので、今そういう気分になりたくない人は後で読んでくれた方がいいかもしれない。

 

 

 

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ぼくは大変な重病を持って生まれた。「内臓系の病気」「数十万人に1人の病気」ということ以上のことは言いたくないので言わないが、 ともかく生まれた時、お腹がぱっくりと割れていたという悲惨な状態だったらしい。

 

あまりにも珍しい症状だったのでぼくが生まれた小さな病院の医者はどうしていいか分からず、とりあえず割れていたお腹を縫ってくっつけた。

だがなぜか数日経つとまた割れてしまうらしい。ぼくは生まれてからなんと9ヶ月間もの間、お腹が割れたり閉じたりを繰り返している状態だったそうだ。

 

医者には「この子は一生歩けないと思います」とも言われ、母はずっと絶望的な気分で過ごしていた。

 

だが生後9ヶ月の時、たまたま大きい病院に移され、ある名医に診てもらえることになった。

 

その名医はぼくの病気や症状を知っており、一目でどうすればいいかが分かった。お腹が何度も開いてしまうのは骨盤が開いているせいであり、骨盤を切って閉じれば良いのだそうだ。

 

その名医は見事な手術で骨盤を閉じてお腹をくっつけ、他にも様々な処置を施し、ぼくの体をかなり健常な状態にしてくれた。

 

1番の問題は内臓にあるので一生付き合っていかなければならない病気だし、未だに痛みや苦労はあるが、普通に日常生活が送れる体にしてくれたのだ。

 

歩き方は、骨盤が完璧な形になったわけではないのでよく見たら少し変ではあるが、それだけだ。歩くことも泳ぐことも普通にできるし、調子がいい時は10kmを1時間で走ることだってできる。

 

それは本当に奇跡的なことである筈なのだが、ぼくはずっと、その奇跡に大して感謝をしていなかった。

何度か、誕生日などの大事な時に母から「あなたは生まれた時こんな感じだったのよ」と説明されていたが、「ふーん、そうだったんだ。でも今はほぼ元気だし、昔の話をされてもなんとも思えないよなぁ」と思っていた。

 

中学では病気が悪化し大きな手術をして2ヶ月ほど入院することがあったし、それからも卒業まで度々体調が悪くなっていた。だが大変だったのはそれくらいで、小学校は元気に楽しく過ごしたし高校でも演劇部の活動をほぼ不自由なく思う存分できていたので、自分の病気のことについて深く考えることはなかった。

 

だが高校3年の9月に、自分の病気と深く向き合うことになる出来事が起きた。

病気がまた悪化したのである。

 

久しぶりに、何度も内臓の痛みに襲われる日々が始まった。また入院して手術しなければならないかもしれないと何度か肝を冷やしながら、なんとか持ち堪えていた。



その時ぼくの所属している演劇部では、地区大会の練習をしていた。

脚本は同期の男子部員(「人間は考えなければ駄目だと思う」と言ったり、ぼくにチョッパーのぬいぐるみをくれたりした奴だ)が書いた『満月』というタイトルのものだったのだが、この脚本がぼくの人生を決定づけることになった。

 

 

『満月』には、こういうシーンがあった。

 

車に轢かれて全身不随になった女性のもとに、車で撥ねた男の人が謝罪に行く。だが、女性は笑ってこう言うのだ。

 

「いいんです、もう。ずっと続くと思ってた日常が、ある日いきなり終わる。人生ってランダムなんだなって。そのことに気がついただけでも、良かったと思ってるの」

 

演劇は、本番までに50回は同じシーンを繰り返し練習する。

ぼくはずっとこのセリフに全くピンと来ていなかったのだが、病気が悪化して数日経ったある日の練習中、もう何十回目か分からないこのセリフを聞いた時、稲妻に撃たれたような衝撃を受けた。

 

 

「人生ってランダムなんだな」

 

 

この台詞の意味が、突如として分かったのである。

 

人生は公平ではない。努力でどうにかできる部分もあるが、そうでない部分もたくさんある。

例えば、病気がそうだ。正しく生きた人や努力した人が健康になるわけでも、悪いことをした人や怠けた人が病気になるわけでもない。健康な体で生まれるか、病気を持った体で生まれるかは、完全にランダムなんだ。

 

ぼくは重い病気を持って生まれたけど、たまたま腕の良い医者に出会いほぼ健常な体に治してもらった。だからほぼ不自由なく生きることができ、今こそ痛みを抱え危機を感じているものの、演劇部というハードな活動を思う存分にできている。

 

逆に言えば、たまたま腕の良い医者に出会っていなければ、ぼくはこんな人生は歩めなかったかもしれないんだ。歩けなかったり、お腹が割れたままずっと病院のベッドから動けない生活をする人生だったりしたかもしれないんだ。

 

 

そう思った時、中学の時の入院生活で一緒だった人たちのことを思い出した。

4人部屋だったから、同じ部屋には年の近い3人の入院患者がいた。1人はどんな人だったか忘れたけど、1人はいつも1年のうち四分の一は入院しなければならない人で、1人は何年も病院から出られていない人だった。

 

当時のぼくはその人達を見ても大して何とも思わなかった。すごく冷たいが、「そういう体に生まれちゃったんだから仕方ないよな」と他人事に思っていた。

 

だが、「人生ってランダムなんだな」というセリフの意味が分かった時、その人達の人生は全然他人事なんかじゃないじゃないかと思った。

 

彼らは何か悪いことをしたからああいう体になったんじゃない。たまたまそういう体に生まれてしまっただけなのだ。ぼくが彼らと同じような人生を送っていた可能性だって十分にあるのだ。だって、人生はランダムなんだから。

 

ぼくはその時、自分の幸運に心から感謝した。あんなに重い病気で生まれたのにこんなに健常な体に治してもらえて本当に良かったと思った。


だが同時に、とてつもなく悲しい気持ちになった。たまたま重い病気を持って生まれたままそれを治してもらえず、ずっと苦しい思いをしている人たちが気の毒に思えてならなかったからだ。

 

同じ人間なのに、何も悪いことをしていないのに、ただの運で辛く苦しい目に遭っている人がいるという現実がすごく残酷に思えた 。

 

 

ぼくはそれから、この「人生ってランダムなんだな」という言葉についてずっと考えるようになった。

すぐに、「思えば病気以外のことだって全部そうじゃないか」と気がついた。

 

いじめや貧困や戦争で苦しんでいる人達だって、みんなランダムじゃないか。みんなただの不運で想像を絶するほど辛い目に遭っている。

 

重苦しい気分で、ぼくは世界中の不幸に思いを馳せた。

 

「あの人もこの人も、みんな不幸なランダムだ。なんて世界は残酷なんだ。だけどぼくにはどうすることもできない……」

 

 

 

そんなある日、ぼくは悪化した病気を診てもらうために、生まれた時からずっとお世話になっている大病院に行った。

複数の診察室を回るのだが、お昼に時間が空いたので、病院の中庭で母と一緒にパンを食べることにした。その時、ふとなんとなく視線を上げて、ぼくは固まってしまった。

 

10階くらいの窓から、子どもがこちらを見ていたのである 。

中学の時の経験から、たぶんあの階は入院病棟だと察しがついた時、思い出が蘇ってきた。

 

そうだ、ぼくも入院していた中学生の時、ああやって窓から外を見ていたんだった。

入院中一番辛いのは痛いことではなく、外に出られないことだった。病院の窓から高速道路や中庭を眺めては、「ああ、あの人達みたいに外の世界を楽しみたいな」といつも羨ましく思っていた。

 

その記憶をすっかり忘れていたぼくと、その子と目が合った。いや、遠くだったから目が合っていたような気がしていただけで本当はどうだったかは分からないが、とにかくぼくはその瞬間、胸の奥が冷えるような思いをした。

窓ガラス1枚を隔てた2人の境遇の違いを、まざまざと突きつけられたのだ。

彼は病院の外から出られないのに、ぼくは病院の外にいる。彼が謳歌したいと切望している外の世界を、ぼくはのうのうと生きている。あまりにも残酷じゃないかと思った。

 

パンを食べ終えて病院の中に入り、診察に呼ばれるのを待っている間、突然ぼくは猛烈に泣き出した。涙が止まらなかった。

 

母がぼくの様子に気がついた時、ちょうど診察に呼ばれた。診察室に入ると医者も驚いていたが、すぐに調子を切り替え、ぼくに優しく問いかけてくれた。

 

「どうしたの? 自分の病気がこれから先どうなるか分からなくて怖いの?」

 

ぼくは泣きながら答えた。

 

「違うんです。ぼくじゃなくて、重い病気を持つ人がたくさんいることが悲しいんです」

 

医者も母も戸惑っていた。



 

それからぼくの心は荒れに荒れた。

世界をどう捉えていいか分からなかった。急に学校の授業が無意味で滑稽だと感じられ、何度もバックれた。学校に行く途中の電車をフラリと降りて渋谷を徘徊した。怖そうな人や寄付金を募る人や選挙演説をする人を見ながら、ぐるぐると取り留めもなく色々なことを考えた。

 

そんな風に過ごしていたらある日、演劇部の顧問の先生(「人の気持ちを考えろ」と何度も叱ってくださった先生だ)に呼び出された。彼が担当している数学の中間試験で0点を取ったからである。

 

0点を取った理由を聞いてくれた先生に悩みを話すと、先生は優しくこう言ってくれた。

 

「久保の抱えている悩みはすごくいいと思う。だけど、その悩みって解決するのか?」

 

意外な質問に、ぼくは少し戸惑ってから答えた。

 

「解決しません」

 

「そうだろ。だから、解決するまでそういう風に過ごすわけにはいかないんだよ。悩みながら頑張るんだよ

 

その言葉が、ぼくにはストンと落ちた。

確かにそうだ。いつまでもこうやっていたら、ぼくは卒業さえ危うくなってしまう。

 

ぼくはこの言葉でだいぶ持ち直した。もう授業はバックレなくなり、元の明るい自分に戻った。

これは先生の言葉になるほどと思ったというのもあるけど、「先生のために頑張ろう」と思えたのが大きいと思う。

頑張る意味なんて漠然と考えたってなかなか気力が湧かないけど、「自分が大切に思っている誰かのため」と考えれば分かりやすい。人は人のためなら頑張れるんだということを学んだ。

 

 

 

だがやはり、心の中ではずっと悩み続けたままだった。人の前では明るく振る舞っていても心の中にはずっと暗雲が立ち込めていて、いつもくよくよと悩んでいた。

 

そんな状態のまま、ぼくは卒業する直前の1月に入院をした。悪化した病気を治すために手術をすることになったからだ。

 

変な話だが、ぼくはこの手術がすごく楽しみで、 痛く苦しい思いをしたいと思っていた。そうすることで、ぼくも不幸なランダムに近づけると思ったからだ。

 

ぼくはただ不幸なランダムが存在することだけが嫌だったのではない。自分が大した努力も苦労もせず、幸運なランダムでいられることが辛かったのだ。

自分も苦しい思いをすれば、「自分だけが楽な思いを……」と思い詰めずに済む。流石に手術の成功は祈っていたが、一時的に思い切り痛く苦しい思いをすることを望んでいた。

 

幸いにも、手術は成功した。本当に良かったと胸を撫で下ろした。

だが、苦しい思いをしたいという望みの方は叶わなかった。麻酔がちゃんと効いていたし回復も順調だったからだ。

ぼくはひどく落ち込んだ。

「また幸運なランダムになってしまった。これでぼくはもしかしたら一生、不幸なランダムと一緒になれないかもしれない……」

 

 

そんな時、1冊の小説がぼくを救った。

 

伊坂幸太郎の、『 SOS の猿』である。

 

入院中は暇だろうからと入院前に本屋に行き、 裏表紙の「三百億円の損害を出した株の誤発注事件を調べる男と……」というあらすじを読んで「なんか面白そう」と思って買うことにした、本当に何気なく買った本だった。

 

ベッドの上で本を開き、5ページ読んでぼくは目を疑った。

主人公が、世の中にある不幸にくよくよと思い悩む人だったのだ。

 

たとえば救急車のサイレンの音が聞こえた時、彼はこう思うのである。

 

「どこかで誰かが、痛い痛いって泣いてるのかな」と。

 

どうにかしてあげなければ。だが自分には何もできない……と、無力感に押しつぶされそうになる主人公の様子を見て、ぼくは本当に驚いた。「この主人公、今のぼくと全く同じじゃないか……」

三百億円の損害を出した株の誤発注事件に興味を惹かれて買った本なのに、一体どういう偶然なんだろうと思った。

 

ぼくは貪るようにその本を読んだ。主人公は物語の至る所でくよくよし無力感に苛まれるのだが、最終的には一体どうなるのだろうと気になって仕方がなかった。

 

終盤のクライマックスで大きな事件が終わったというのに、主人公の悩みは消えない。だがその後に、主人公が救われる、こういうシーンがあった。

 

 

主人公が街を歩いていると、向こうに友達の姿が見えた。手を振って駆け寄ろうとすると、再び救急車のサイレンの音が聞こえて来るのだ。

 

どこかで誰かが痛い痛いと泣いている。だが自分には何もできない。

またその無力感に苛まれ、主人公はがっくりと膝をつきそうになる。だがその時、主人公の友達が肩を叩き、こう言うのだ。




 

 

「それでいいんですよ。いつまでも、くよくよしてればいいんですよ」

 

 

 



主人公は顔を上げて聞き直す。

 

「くよくよしてていいんですか?」

 

その友達は笑みを浮かべ、ゆっくりと答える。

 

「一生、くよくよは続きます」

 

その言葉で主人公は体の重みがすっと消え、解放感に包まれる。そういうシーンだった。



このシーンを読んだ時、主人公が救われるのと同じタイミングで、ぼくも救われた。

 

 

「そうか、くよくよしてていいんだ。 不幸なランダムは世の中にある。本当に残酷だけど、無数にある。それは事実だ。そして、ぼくが今のところ幸運なランダムであることも事実だ。それらは動かせない事実なんだから、そのことを受け入れて、くよくよしながら頑張るしかないんだ」

 

 

小説のセリフの内容自体は、先生が言ったことと同じなのかもしれない。

だが、これは本当にうまく言えないのだが、ぼくはこの小説のセリフによって、先生の言葉を受けても残っていた心の深い闇を晴らすことができた。

 

5ヶ月間心にのしかかり続けた重みが消え、ぼくはくよくよしながら、しっかりと前を向くことができた。



 

 

小説を最後まで読み終わったぼくはベッドから起き上がり、点滴台を引きながら病室を出て窓際まで歩いて行った。中庭が見える方とは反対側の窓だ。

 

右側にはテニスコートが、左側には住宅街が、真ん中には高速道路があった。そして全体には、綺麗な青空が果てしなく広がっていた。

 

その広大な景色を眺めながら、ぼくは思った。

 

 

「この広い世界でぼくは、幸運なランダムのぼくは、どう生きたらいいだろう 。

2度も幸運に救われたのだから、ぼくはこの健康で自由な体を不幸なランダムのために使うべきなんじゃないか。

そうだよ。自分のためでも、自分の身の回りの人のためでもなく、不幸のランダムのために使おう。それもできるだけ多くの人を救おう。

だって、不幸なランダムは無数にいるんだから。国もジャンルも関係ない。世界中の不幸なランダムを救おう。世界平和を実現しよう」



強く、そう心に決めた。

 

 

 そうしてぼくはあり得ないほど大きな夢を持ち、前を向きながら、高校を卒業した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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これがぼくが将来の夢を決めた経緯だ。

この時から約7年半の月日が経ったが、今までこの夢は1度もブレたことがない。

 

そういうわけで、バカで子どもじみた夢だと思われるだろうが、そしてそれは当然だから全然いいのだが、ぼくは大真面目だし本気なのだ。

 

ただ、ほとんどの人はやっぱり不可解に思うと思う。

「『自分の力でできる範囲の人助けをしよう』でいいじゃないか。なんでいきなり『世界平和』とかいうとんでもない規模の話になってしまうんだ」と。

 

何故そうなってしまうのか、ぼくにも分からない。「そういう人間だから」としか言いようがない。

なんでも大きく考えてしまう父親の遺伝子を受け継いだせいで、なんでもいきなり最大の規模で物事を考えてしまうのだ。小学生の時は地球温暖化を止めたかったし、高校の演劇部でも全国大会に行きたかった。

高校2年生の時に自信が折れてやっとまともになれたと思ったが、その1年半後にこの夢を持ってしまった。この習性は生涯変わらないんだと思う。

 

まぁでも、それでいいのだ。夢を持つだけなら自由だし、ぼくはちゃんと挫折できる人間だからだ。自分の強みが分かるし、それを努力して伸ばせるし、頑張っても限界が見えたらちゃんと諦めることができる。(大学時代は挑戦と諦めの連続だった)

 

ぼくはただ、やる前から諦めることが嫌だから、最初は最大を設定しているだけだ。もう手を尽くしてどう見ても限界が見えているのに、当初の望みや費やしたコストを諦められず何年も時間を無謀にしてしまう馬鹿ではない。だからそこは安心してほしい。

 

 

ちなみに、ぼくにあるのは利他的な気持ちだけでは全くない。

この夢を持った時はもう自分のことなんてどうでもいいと本当に心から思った。高校の3年間が楽しすぎて、もう自分は十分に幸せな人生を謳歌しきったと感じていたからだ。

 

だが卒業してからの7年半で、ぼくはあまりにも傷つきすぎた。いくらなんでも孤独な日々を過ごしすぎた。

なので正直言うと、今はほぼ自分を救いたいという思いしかない。世界のことなんか全然考えられない。

だからまずは、不幸すぎる自分を幸せにすることに全力を尽くすつもりだ。

たくさんお金を稼いで一人暮らしをして高いものをいっぱい買って、フォロワーを増やして承認欲求を満たしてモテて彼女を作りたい。そういう煩悩の塊である。

 

だけど、それでいいとぼくは思っている。色々なところで何度か言っているが、利己的な欲求というのはそれ自体は何の害もないからだ。

利他的な気持ちよりも優先して自分の欲望のために誰かに損害を与えたりすることは問題だが、ぼくはそういうことはしないと固く決めている。依頼を受けた時はいつも相手ファーストに徹しているつもりだ。

 

そういうわけでしばらくはほぼ自分のために頑張るが、それでも問題はないし、自分を幸せにした後であればまた、他人のために自分の人生を使いたいと思うようになるだろうと思う。

 

 

 

早く自分を救いたい。そして夢を始めたい。

レンタル話し相手の活動で成功しさえすれば、どちらも叶うのだ。

  

活動を始めて1年半もの間芽が出なかったが、この1ヶ月でようやく少しだけ上手く行き始めている。この波にうまく乗れれば、有料化の依頼が殺到するところまで本当に持っていける。そうすれば全てが始まる。

 

あともう少しだけ、頑張ろう。



人生最大の転機 ー「根拠のない自信」が折れた話ー

 

 

これまで、ぼくの人生には大きな転機が3回あった。

 

1回目は、根拠のない自信が折れた高校2年の9月。

2回目は、将来の夢が決まった高校3年の2月。

3回目は、大学中退をやめることにした大学2年の3月。

 

どれもぼくの人生を劇的に変えた、革命的と言ってもいいぐらいの大きな転機だった。

 

3回目の転機の話はすでにブログに書いた。

2回目の転機の話も近い内に書こうと思っている。

 

今回は、1回目の話をしたいと思う。

自信が折れたと言うと悪いことのようだが、この体験がぼくという人間を劇的に改善させた。

 

今のぼくは全てこの体験を元に作られているから、3回の内でこれが最も大きな転機だったと言えるだろう。

 

 

 

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ぼくは小さい時から、全能感溢れる子供だった。

根拠なく自分は何でもできると思っていて、将来は地球温暖化を止めるとか1万円札の肖像画に載るとか本気で考えていた。

 

特に何かきっかけがあった訳ではない。気がついたらそういう人間になっていたのだ。

 

これは間違いなく、バングラデシュ人の父の遺伝子の影響である。父も全くそういう人間で、自分は誰よりも偉いとか国を救うんだとか本気で考え公言する人間だった。

 

実際にそれだけの能力が伴っているなら、そういう大口を叩いてもいいだろう。だが父は残念ながら、極めて無能な人間だった。

 

自分は誰かに雇われるような安い人間じゃないと言って会社を建てては潰し、また建てては潰しを繰り返して借金まみれになり、生活費すら家に入れない。

その上反省も学習も一切せず、自分を騙したあの人が悪いとか次は必ず上手くやれるとか言っては失敗を繰り返し、ついに高校2年の8月(ちょうどこの転機の話とほぼ同じ時期だ)に母の強い要望で離婚させられたのに、未だに少しも謙虚になっていないという恐ろしい人間なのである。

 

そんな父の遺伝子を色濃く受け継いでしまったぼくは、父と全く同じ精神と能力を持つ人間として育った。つまり、「実際には極めて能力が低いのに全能感に溢れている人間」である。

 

それでも小さい内から色々なことに挑戦していれば、早い内に「あれ? やっぱりぼくって無能じゃね?」と気づくと思うのだが、ぼくはずっとそういう気づきを得なかった。何の挑戦もしてこなかったからだ。

 

小学校は普通に友達とゲームをしているだけだったし、中学校は持病が悪くて部活に入らなかったので、アニメをひたすら見るだけの怠惰な毎日を送っていた。

 

そんな自堕落な日々を送っていることに空虚さや焦りを感じてはいたものの、自信だけは全く失っていなかった。

 

「今は何もやっていないから何の成果も出せていないだけだ。何かやりたいことを見つけて頑張れば、ぼくは誰よりもできる人間なんだ」

 

そう信じて疑わなかった。

挑戦しなければ失敗もない。自分の能力が未知数なのだから、できると思い込むのは簡単だった。

 

 

 

そんなぼくは、高校に入学してすぐ演劇部に入った。

「気まぐれに体験入部してみたら先輩方がキラキラしていて楽しそうだったから」というごく普通の動機で入ったこの部活が、ぼくの人生を全く違うものにした。

 

活動し始めてすぐ、ぼくは大きな違和感を感じた。

部員のみんなと全然仲良くなれないのだ。みんないい人たちなのにぼくとの間に明らかに分厚い壁があり、全く馴染めなかった。

 

それまでの人間関係ではそんなことはなかったらしばらく訳が分からなかったのだが、ある時やっとその理由に気がついた。

 

演劇部は、「目的意識のある集団」だったからだ。

 

ぼくはそれまで、一緒にテレビゲームやカードゲームをするだけのゆるい友達付き合いしかしてこなかった。そういう人たちとは、ただ明るくてちょっと面白いところさえあれば簡単に仲良くなれる。

 

だけど、目的意識のある集団はそうではない。

公演という目的を達成するためには、ただゲームをするだけよりずっと深いレベルで人間関係を構築する必要があるのだ。互いに空気を読み、気遣いをし、引くべき時には引き、怒るべき時には怒らなければならない。

 

ぼくが入った演劇部は年間300日ぐらい練習があるかなりしっかりとしたところだったから、求められるレベルは低くなかった。

 

母からやや過保護に甘く育てられ、小学校ではゲームだけをし、中学校でも帰宅部だったぼくは、演劇部という目的意識を持った集団でどう振る舞うべきなのか全く分かっていなかった。

 

小学生が高校のしっかりした部活に入ってしまったようなものだと考えてもらえれば、どんな感じか割と想像がつくのではないかと思う。

 

 

空気を読まずに行動する、ナチュラルに人を傷つける言動をする、引くべきところで前に出る……。大抵の黒歴史を笑って話せるぼくでも思い出すのが嫌になるぐらい、本当に酷いものだった。

 

それだけでも超ウザいのに、途中から全国大会に行こうなどと少年漫画の読みすぎにもほどがある夢を語り出したりして、もう本当に部員全員から引かれていた。

 

それでもぼくがメキメキと成長していくならまだ良かったのだが、それすらなかった。

 

顧問の先生は優しくも厳しかったから毎日のように叱ってくれていたし、演劇についても色々なことを教えてもらっていたにも関わらず、ぼくは約1年半、人間的にも演劇的にも全くと言っていいほど成長しなかった。

 

何故か?

ぼくが、自信満々だったからである。

 

いや、人間力や演技に自信があったという訳ではない。

空気読めてないなとかスベッたなとかいうことは流石に分かるし、演技も上手いとは全然思っていなかった。

 

だが、根本的なところに絶対的な自信があったのだ。

 

「今は色々なことが噛み合わなくてうまくいってないけど、ぼくは本当はめちゃくちゃできるヤツなんだ。だいたいぼくは脚本と監督を担当したら最高の劇を創ってみせるってずっと言ってるのに、その役割を任せてくれない顧問の先生が悪いんだ!」

 

典型的な、「俺はまだ本気を出していないだけ」状態である。

 

凝り固まった自信のせいで自分を疑うことをせず、他人の言葉を全て跳ね除けていた。だから成長しなかったのである。

 

 

 

 

そんなぼくに、高校2年の夏に転機が訪れた。

念願の脚本と監督を任せられたのである。

 

それらを任せられたのは意外にも、部活ではなくクラスの方だった。

 

9月にある文化祭の出し物で、ぼくのクラスはぼくが提案した演劇をやることになったのだ。脚本は投票制だったがぼくのプロットが通り(この時から物語を書くのはそこそこ得意だった)、その流れで監督も任せられることになったのだ。

 

「やっと脚本家と監督になれた!」とぼくは大喜びし、リーダーシップを発揮し素晴らしい劇を創っていくイメージを思い浮かべてニンマリした。

 

だが、そのイメージ通りにできるわけがなかった。そんな重い役割を担うのは初めてなのだから当然である。

 

脚本の完成を遅らせる、そのことを「忙しかったからしょうがないじゃん」と言い訳する、まだセリフを一行も書いていない役者を休みの日になんとなく呼び出して一日無駄にさせる、一生懸命仕事をしてくれてる人に対して「そんなチマチマとした仕事やらないで」と言う、何をどれぐらい買えばいいのか全く計算せずに大道具の材料を買いに行く、監督の代役を誰にもお願いせずに仕事を放り投げて部活に行く……。

 

あらゆる面において最悪の監督だった。本当に何もできていなかった。

 

そのせいで、クラスメイトのヘイトが恐ろしいほど溜まった。それまではクラスでは特に嫌われていなかったのにほぼ全員から嫌われ、呆れられ、怒られた。平和な風土の学校だったのでいじめられたりすることはなかったが、クラス中のヘイトを一身に感じる日々が何週間も続いた。

 

クラスメイトのみんなのおかげで文化祭当日には奇跡的にちゃんと形になった劇をお客さんに届けることができ、評判もけっこう良かったけど、ぼくの心はもうズタボロになった。

 

この体験を通して、ぼくは生まれて初めてこう悟ったのである。

 

 

 

「ぼくって、“できないヤツ”だったんだ」

 

 

 

そう思わざるを得なかった。望んだ役職を与えられ存分に能力を振る舞える日々を過ごしたのに、結果があの有様だったのだから。「本当はめちゃくちゃできるヤツなんだ」と言える逃げ道はもうどこにもなかった。

 

遺伝子レベルでぼくのことをずっと支えていた「自信」という超強力な柱が、ポッキリと音を立てて折れた。

 

 

 

 

 

それからぼくは、ガラリと変わった。

演劇部での振る舞いが全く違うものになったのである。

 

全国大会に行きたいなんて思わなくなり、信じられないほど丸くなった。

そして何より、顧問の先生の言葉がちゃんと響くようになったのだ。

 

先生は日々色々なことでぼくを叱ってくださったけど、突き詰めれば全ての教えは、

 

 

「人の気持ちを考えろ」

 

 

というものだった。

 

ぼくはずっとこの言葉の意味が分からなかった。「ぼくは人にめちゃくちゃ優しく接しているのにどうしてそんなことを言われなきゃいけないんだろう?」と不服に感じていた。

 

でも、自信が折れたおかげでもう一歩深く考えてみようと思えるようになった。

 

「もしかしたら先生の言っていることは正しいんじゃないか? ぼくの優しさは間違っているんじゃないか? 」

 

そう何日も延々と考え、ある日、ぼくはついに分かった。

 

 

「そうか! 相手の立場に立たなきゃいけないんだ!!」

 

 

そう、ぼくはいつも「自分が良いと思ったこと」をしていただけで、「相手がどう思うか」は一切考えていなかったのだ。

それではどれだけ優しくしているつもりでも、嫌われたり怒られたりするのは当然だった。 

 

 

ぼくはそれから、あることを自分に課した。

 

「言動をする前に、必ず一歩立ち止まる」ことにしたのだ。

 

何か言いたいことがあってもいきなり言わず、「この言い方だと相手は傷つくんじゃないかな?」「今このタイミングで自分が発言したら、場の流れが止まっちゃうんじゃないかな?」と必ず立ち止まって考えるようにしたのだ。

 

これは、野球のバッターがイメージに近いと思う。

 

これまではボールを投げられたら何も考えずに全部バットを振っていたので、空振りしたりボールをとんでもない方向に打ったりしてばかりだった。

 

だが、バットを振る前にボールをよく見極めてみることにしたのだ。

 

しばらくはミットに入るまでの一瞬の間にどんなボールかすぐに見極めることができなかったので、多くのボールを見送った。口数は半減した。

 

だけど自分に投げられたボールをよく見たり、人がバッターボックスに立っている時の様子をよく観察したりするのを続けていると、少しずつ会話というものが分かってきた。

 

「このボールを打とうとしたら、たぶん空振りしたりファールになったりするな」

「このボールは得意なコースだから思い切り打って大丈夫だな」

「このボールは思い切り打てるだろうけど、チーム全体のためにはバントしておいた方がいいな」

 

しばらくは成績が変わらなかったが、その習慣を辛抱強く続けていたら、いつの間にか少し打率が上がっている自分に気がついた。

 

「あ、あれ…? ヒットが打てたぞ…??」

 

この喜びはなんとも言えないものだった。

これまでずーっとほぼ三振かファールしかできていなかったのに、ボールがバットの芯に当たる感覚を肌で感じることができたのである。これはとてつもない快感だった。

 

 

 

また、「思考」の面においても変化が訪れた。

 

たぶん同じ頃だったと思うのだけど、同期の男子部員がぼくにこう言ったのである。

 

 

「人間、考えないと駄目だと思うんだよね。考えないと人間じゃないと思う」 

 

 

衝撃のセリフだった。

「考えないと駄目」なんて、ぼくはそれまで考えたこともなかったのだ。

 

その同期の男子部員はめちゃくちゃ仕事ができて人望も厚い、ぼくとは対照的な人間だったのだが、どうして同い年なのにこんなに大きな差があるのだといつも疑問に思っていた。

 

だがようやくその疑問が解けたのである。

 

 

「そうか、ぼくとこいつとの差の秘密は、『考えているかどうか』にあったのか!」

 

 

だとしたら恐ろしいことである。たった一点の違いで人生の明暗が分かれてしまうと言っても過言ではないのだから。

 

ぼくは思った。「考えないと!!」

 

それからぼくは常に、「考えろ」と自分に言い聞かせるようにした。

 

 

「考えろ」「考えろ」「考えろ」「考えろ」「考えろ」「考えろ」「考えろ」……

 

 

会話をする時も、気遣いをする時も、演技をする時も、言い過ぎなぐらい自分に言い聞かせ続けた。

するとちょっとずつ、「あれ、久保にしては考えたじゃん」みたいな反応をもらえることが増えてきた。

 

 

 

「一歩立ち止まって相手の立場に立つ」

「考える」

 

 

この2つを徹底的に意識し続けた結果、演劇部の人たちのぼくに対する反応が激変した。

 

1111日の誕生日に、それまでずっとぼくに無関心だった同期の男子部員からチョッパーのぬいぐるみをもらった(いつも配信の時に映っているアレだ)。

 

クリスマス公演でぼくが演じたピエロの役のパフォーマンスをみんなから面白がってもらえた。

 

冬公演では誰よりも演技が上手いと言われた。

 

春公演で先生が怒って帰ってしまった時の反省会で、「誰よりも久保くんが的を射た意見を言うから」と司会を任された。

 

 

 

この間、文化祭が終わってからたったの半年間である。 

自分でも信じられないほどの変化だった。

 

あるとき神藤ゆずかさん(「全然1番の友達じゃないわ笑」と言った人だ)に「演劇部内で1番成長したのは久保くんだと思う」と言ってもらったことがある。

1番かどうかは分からないけど、ぼくは確かにとてつもない成長をすることができたと思っている。

 

そんな奇跡が起きた理由は間違いなく、文化祭で自信がポッキリと折れたからだ。

あの時から全てが好転した。

 

根拠のない自信が折れたから、自分を疑うことができ、人の言葉をいたずらに跳ね除けず、素直に聞けるようになったのだ。

文化祭で脚本家と監督を担当してズタボロになる体験をしていなかったら、あの成長はなかっただろう。もしかしたら今でも、文化祭前と同じような人間のままだったかもしれない。

 

自信が折れて、本当に良かった。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

 

 

 

これで1回目の転機の話は終わりだが、この話を聞いて今、誰もがこう思っているだろう。

 

 

「いや、お前今また自信満々になってるし人の気持ち全然考えられてないやんけ。それが気になって全く話に集中できなかったわ」

 

 

と。

 

 

ぼくは正直、このツッコミに対してなんと答えたらいいか分からない。

 

 

この記事でぼくは次のように書いた。

 

rentalhanashiaite.hatenablog.com

 

だけど新たに意識することが増えた時、明確な「対比」が生まれた。

 大半の人ができていないことが、自分はできている。

このことを客観的に感じるようになり、ぼくは生まれて初めて、「自分は話を聞くのが上手いんだ」と自覚した。

これが、ぼくが「自分は話を聞くのが上手い」と思うようになった経緯と根拠である。

(「客観的に感じるようになり」と言ったが、もちろん完全に客観的になれてはいない。どんなに俯瞰しているつもりでも結局は主観の域を出ないし、相手から好意的な評価を受けることもあったがお世辞である可能性が当然あるからである。だが少なくとも、「なるべく客観的であろう」という意識は常に持つようにしていた)

いつか別のところで詳しく話すと思うが、「話すのが上手い」というのにも、「優しい」というのにも、「論理的思考力が高い」というのにも、全て同じような経緯と根拠がある。

(中略)

ぼくは高校2年生の時までは、正しくない自信を持っていた。比較する対象がいなかったり無視したりしていたから、根拠なく自分はできる人間なのだと思い込んでいた(コミュニケーション力に関してとかではなく、ただ漠然と『自分はできるヤツだ』と思っていた)

だけど、今は違う。

ぼくは今話したような「対比」を通し、都度改善を繰り返し、少しずつ自信を積み上げていったのだ。

改善を繰り返してきた自分と改善を怠っているように見える他者を冷静に対比できているから、ぼくは「自分は優秀だ」と自信を持って言えるのだ。

 

そう、ぼくは「自信を持つこと」が悪いと思っているわけではない。「根拠のない自信」だけを持つことは良くないと思っているだけなのだ。

 

ぼくはあの文化祭の後から約9年間、対比と改善を猛烈に繰り返してきた。そうして「根拠のある自信」を積み重ねていったから、自信満々になっていたのだ。

 

(もちろんだからと言って、自分を疑うことをサボっているわけではない。「ぼくはなぜ誰からも認められなかったのか」というタイトルのブログ記事にも書いたように、「自信を持つこと」と「自分を疑うこと」は両立できる)

 

 

ぼくはこのワークショップ第2回の感想記事を読んだみなさんから、

 

「なるほど!レン話さんがやたら自信を持っていたのはそういう理由だったんですね!納得です!実際すごく上手に話を聞けてるし、自信を持っていていいと思います!!」

 

と言われると思っていたのだが、実際にはそういう声は全く上がってこなかった。

そのせいで「え、ええ……? ぼくの自信はやっぱり間違ってるってことなの……?」とかなり困惑し落ち込んだ。

 

そしたらその数日後に受けたワークショップの第3回で、ぼくの話の聞き方が急に褒められた。ぼくとしては全然自信のなかったところだったのだが、なぜか多くの人に高く評価してもらったのだ。

さらにその後も、自分ではむしろ酷い出来だと思っていたワークショップの感想記事が褒められ、参加させてもらった選択的夫婦別姓についての対話の様子も褒められ……。

 

もう訳が分からない。何に自信を持てばいいのか全く分からなくなっている。

 

 

人の気持ちを考えることに関してもそうだ。

 

レンタル話し相手の依頼者との会話など、1対1で話す時は相手は大抵気持ち良さそうな反応をしてくれる。怒らせたり「それは失礼じゃない?」と言われたりすることは滅多にない(もちろん、「1対1だと心の中でそう思っても面と向かって言いにくい」という要素は多分に考慮しなければならないが)。

この前の依頼者なんて「どうしてそんなに人の気持ちが分かるんですか? 心理学か何かを学ばれたんですか?」と言ってくれたほどだ。

 

だが、複数の人と話す場面になると途端におかしくなる。

ぼくはTwitterツイキャスで息をするように失礼な発言を連発しているらしく、今のウォッチャーのみなさんからは「ナチュラルに失礼」と数えきれないほど言われている。

これはTwitterに限らず、高校の部活の人たちと会った時やお気に入りのバーでも似たような現象が起きている。

 

ぼくとしては複数の人と話す時も1対1で話す時と同じようにボールを良く見てからバットを振っているつもりなのだけど、なぜこうなってしまうのか全然分からない。

 

 

そういうわけで「何故か」という理由はさっぱり分からないのだが、1つだけはっきりしていることがある。

 

少なくとも今のぼくは、自信を持ったりそのことを公言したりすると、ろくなことがないということだ。悪いことしか起きない。

 

なのでしばらくは、ナチュラルに失礼な冗談とともに自信を持つことも封印しようと思う。そうすれば、思わぬところで新たな気づきや発見を得られるかもしれない。

 

たぶん、「自信がある」とか「自信がない」とか自分で決めてしまうのが問題なのだ。

 

ぼくが今受けているワークショップのタイトル、「『わからない』と思うための対話」のように、「分からない」状態でしばらく過ごしてみようと思う。

 

エッセイ 『コンビニ』

 

ぼくは大学3年生の時にエッセイ(筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文のことを書いて「随筆春秋」という雑誌のコンクールに応募したことがあるのですが、眠らせておくのはもったいないのでその原稿をこのブログに載せてみます(一応電話で随筆春秋さんに確認したら、ネットで公開しても問題ないそうです)。
 
ぼくは大きくなってからは本気で文章を書く経験をしていなかったのですが、なぜ急にエッセイを書いて応募しようと思ったかと言うと、「自分の得意なこと」を知りたかったからです。
 
ぼくは学校を創るための資金と人脈を得るために学生団体やインターンシップなど色んなことに挑戦したのですが、どれも結果が出ず、大学3年の時に途方に暮れていました。
 
「何をやっても成功しない。というかまず努力ができない。ぼくは一生成功できないのか……?」
 
と悩んでいたのですが、ある時ふと、ダメだった理由が分かりました。
 
「そうか! 好きで得意なことをやっていなかったからだ!」
 
よく考えたら、学生団体やインターンシップは「やらなければならないこと」だったり「これだったら成功するかも」と打算的に考えていたことだったりしたんですね。
好きじゃないから頑張れない。得意じゃないから成果が出ない。こんな当たり前のことにずっと気づいていなかったのです。
 
次に「じゃあ好きで得意なことはなんだろう?」と考えてみたのですが、よく分かりませんでした。
幼い頃から自分に強烈な自信を持っているくせに、「賢い」とか「優しい」とかいう漠然とした要素の自信しかなく、「じゃあ何ができるの?」と言われたらいつも何も言えてなかったんですよね。履歴書の「特技」の欄を埋めるのに毎回苦労していました。
 
「『これがぼくの特技です!』って自信を持って言える『スキル』が欲しいなぁ」と思ったもののその探し方が分からず悩んでいた時、久しぶりに超有名自己啓発小説『夢をかなえるゾウ』を読んでみたら、ドンピシャのセリフがありました。
 
 
「人生を劇的に変える1番手っ取り早い方法はな、応募することや。自分の才能が他人に判断されるような状況に身を置いてみるということやな。
落選して自分の才能がないって判断されるのは怖いねんけど、それでも可能性を感じるところにどんどん応募したらえねん。そこでもし才能認められたら、人生なんてあっちゅう間に変わってまうで」
 
 
「なるほど応募か! 応募して評価されたら、それは間違いなく自分の得意なことだ!」
 
何に応募しようかと色々と考えた結果、「文章」の力が試されるものがいいんじゃないかなと思いました。
 
「よく考えてみれば、小学生の時から作文や詩で賞を取ることはけっこう多かった気がする。卒業文集とかも本気でのめり込んで書いてたし、ぼくにとって文章を書くことは『好きで得意なこと』なのかもしれない」
 
色々調べて、「随筆春秋」という雑誌のエッセイコンクールに応募してみることにしました。締め切りや発表が近かったからという単純な理由です。
 
で、書いて応募してみたらなんと、入選してしまいました。
最優秀賞や優秀賞はもちろん無理でしたが、応募作品約400作品中、上位約20作品の「入選」に選ばれたのです。
 
 

f:id:Rentalhanashiaite:20200803155951j:plain

 

 

「うおー!! 文章の勉強なんて一切してないのにいきなりこの快挙は天才じゃね!?」
 
と例によって調子に乗った後、
 
「やっぱり『文章を書くこと』は『好きで得意なこと』なんだ! これでこれからは『文章を書くことが得意です』って堂々と言えるぞ! 文章で名を上げよう!!」
 
と思い、ぼくは大学最後の挑戦として本格的な長編小説の執筆に取り組むことになったのでした(これは大失敗に終わります)。
 
 
前置きがめちゃくちゃ長くなりました。本文並みに長かったかもしれません。
 
そんな経緯で書いたエッセイ、『コンビニ』です。ぜひご覧ください。
 
(当たり前ですが色々と今よりだいぶ拙いです)
 
 
〜〜〜〜〜〜
 
 
 からあげクンのレギュラーが床に散乱した。
「すみません」謝りながら急いで拾い上げる。
「久保くん、また?大丈夫?」
 店長が若干苛立ちながら言った。この二時間で三回目なのだから無理もない。
 床に付着した油をペーパータオルで拭き取りながら、自分のあまりの不甲斐なさに泣きそうだった。コンビニの仕事がこれほど大変だなんて、想像もしていなかった。
 
 大学一年生の十月、貯金が底をつきかけた僕は人生で初めてアルバイトをする必要に差し迫られた。迷わずコンビニを選んだが、ほぼ突っ立ってレジをしているだけでいいのだろうなと高をくくっていた。
 ところが実際に働いてみると、コンビニの仕事は想像の百倍忙しかった。ポイントカードのスキャンや商品の袋詰め、揚げ物の製造・廃棄、ゴミ捨て、トイレ掃除、消耗品の補充、郵送、納品……。あまりにも多くの仕事に目が回りそうだった。
 たかが買い物をするだけの場所の裏側にこれほど大量の仕事があるなんて。初めてのシフトのあとには人生最大の疲労が全身を襲っていた。
 アルバイトが……“労働”というものがこれほど過酷なものだったとは。まさに身に染みて理解し、身の程を恥じた。
 
 僕は小さいときから、労働というものを軽視していた。教師や経営者のような、個性を発揮でき人や世の中にも強い影響を与えられる職業には憧れていたけれど、個性が発揮されなさそうで、ただ静かに社会を支えている職業はつまらないものと思っていた。
 飲食店員、駅員、工事現場作業員、清掃員……これらの仕事は、いわゆる“社会の歯車”でしかないと考えていたのだ。そうした職業に従事している人々を町中で見るたび、「この人たちは自分の人生の大半をこんなつまらないことに捧げていて幸せなんだろうか」などと疑問に思っていた。
 それは当然、コンビニの店員に対しても同じであった。ほぼ毎日利用している家から一番近いコンビニは、朝はいつも六十歳くらいの痩せたおじいさんがレジをしている。レジ打ちも袋詰めも驚くほど遅く、あまり生気を感じない人だった。このコンビニで買い物をする度に、「社会の歯車をさせられているなんて情けない人だなあ」等と思っていた。
 
 そして僕は高校二年生の文化祭で、とんでもない過ちを犯してしまう。
 クラスの出し物で演劇をやることになり、僕の脚本が採用された。将来宇宙飛行士になりたいと思っていた主人公が魔法で十年後の未来へ行き、宇宙飛行士になっていない自分を見て愕然とするが、現在に戻ったあと奮起し夢を叶えるというストーリーだ。
 だが問題だったのは、十年後の主人公の職業だった。コンビニの店員だったのだ。宇宙ステーションで働いているはずの未来の自分がコンビニで働いているのを見た主人公は「なんでコンビニなんかで働いてるんだよ!ふざけるな!」と、未来の自分に恫喝するのだ。そして未来の主人公も「俺は努力しなかったからコンビニの店員にしかなれなかったんだ」と返してしまう。
 その演劇の上演を観た母が真っ先に言ったことは、「あんた、コンビニの店員に失礼じゃない」だった。
「もしお客さんの中にコンビニで働いている人がいたらどう思うの」と言われ、愚かなことをしてしまったことに初めて気がついた。
 だが、コンビニの店員を見下していたのは真実であった。
 
 そんな経験から、僕はアルバイト先にコンビニを選んだのだ。あのとき脚本で「どうしてそんなところなんかで働くんだ」と馬鹿にしたそのコンビニで働いてみたらどうなるだろうかと思ったのだ。
そして、結果がこのざまだった。「そんなところ」で働いた僕はものの見事に鼻っ柱をへし折られてしまった。
おい、高校生の時の自分よ。お前はそこでたったの五時間働くだけでボロボロになるんだぞ!
 それに、コンビニがなければお前は困るんじゃないのか。消費ができるのは生産してくれる人がいるからだろう。生産する為にどれだけの苦労があるかも知らずに店員を馬鹿にするなんて、お前はいったい何様なんだ?どんな思い上がりだ?
 
 翌朝、どん底の気分で家を出た。朝食を買うため、いつも通り自宅前のコンビニに寄る。
商品を手に取りレジに並んだ。いつものあのおじいさんがレジをしている。首を伸ばして手元を見てみたが、やはり捌くのがかなり遅い。
 並んでいる間、商品棚を眺めてみた。あれ、意外としっかり前陳ができているんだ。古い日付の商品が最初に手にとられるような配置がきちんと守られているし、ヨーグルトやプリンはラベルが真正面に来るよう整然と並べられていた。
 さらに店内をよく見渡すと、ピカピカに掃除された床や手書きのセール品告知ボード、高く積まれている納品ボックスが目に入った。途端、目から涙が出てきた。
 これまでは全く意識もしていなかったけれど、こんなに色々な手間や工夫があったのか。何一つ見えていなかった。あんな弱々しそうなおじいさんがどうやって納品の重い箱を運んでいるのだろう。毎日毎日、いったい朝何時から準備をしているのだろう。どれだけの膨大な時間、このお店を守り続けてきたのだろう。
 レジが進み自分の番になった。パンを二つとヨーグルトを一つ、カウンターに置く。
「いらっしゃいませ」
 おじいさんは弱々しい声で言い、ゆっくりとレジ袋を取り出し詰め始めた。ヨーグルト用のスプーンもきちんとつけてくれる。
 ああ、どうしよう。今日まで何百回と買い物をしているけど、一度も会話をしたことなんかない。毎回「いらっしゃいませ」って言ってくれていたのに、それに反応したことすらない。いつも素っ気なくお金だけ払っていた。
「あ、あと、からあげクンのレギュラー、ひとつお願いします」
咄嗟に言った。かしこまりましたと言って、レジを打つ。
「四四九円になります」
 おじいさんがしっかりと手を消毒し、からあげクンを手に取り丁寧に蓋をし爪楊枝をつけてくれる間、僕は心の中で激しい葛藤をしていた。言おうか、それとも言わずに店を出ようか。心臓がバクバクする。
 五百円玉を渡し、お釣りと品物を手渡された。ありがとうございましたと言ってお辞儀をしてくれる。
 こちらも軽く会釈をし、やはり言わずに店を出ようとした。後ろを振り返ると二人のお客さんが並んでいる。一歩を踏み出そうとして、衝動が僕を踏み留めた。
「あ、あの、いつもご苦労様です。ありがとうございます」
 目を見ては言えなかった。おそるおそる顔をあげると、おじいさんがキョトンとした顔で僕の顔を見つめていた。そして2秒くらいしてから、
「いつもご来店、ありがとうございます」
 そう言って、くしゃっと笑った。初めて見る笑顔だった。

 

「わからない」と思うための対話 第1回 感想

 

2020年7月からぼくに興味を持ってくださっているめんたねさん(@mentane)という方が、ある時こんなツイートをされた。

 

 

狙いはこうだそうだ。

 

 

お誘いを受けてぼくはもちろん快諾した。

ぼくにとってメリットしかないし、メリット云々の計算を除いてもこういう勉強には興味があり、ずっとやってみたいと思っていたからだ。

 

毎週金曜日、計13回受講させていただき、受講後は毎回感想記事を書いていた。

 

以下が第1回目の感想である。

 

(第2回目以降の感想記事の読み方は記事末尾に記載してある)

 

 

 

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動画はこちら! 

 

www.youtube.com

 

 

ちなみに資料の転載許可はめんたねさんから頂いている。

 

また、

 

 こういう風に 

 

小さく薄い文字で書かれているのはめんたねさんの言葉の引用である。

 

 

 

--------------

 

 

 

まず「やられた!」と思った

 

ワークショップが始まる前、資料のこのページを見て「やられた!」と思った。

 

f:id:Rentalhanashiaite:20200720234119p:plain なぜか? 「実践とフィードバック」が組み込まれていたからだ。

 

ぼくは教育は基本的には「教える」割合を少なくして「実践とフィードバックをさせる」割合が多いといいと思っているんだけど、まさにそういうワークショップだったから「やられた! ぼくが先にやって日本を驚かせたかった!」と悔しく思った。 

 

でもめんたねさんに言わせれば、「君が世界を知らないだけでこんなことをやってる人はたくさんいるよw」とのことらしい(笑)

早く世界を知りたい。

 

 

 

理解できたことを相手に伝える必要がある

 

f:id:Rentalhanashiaite:20200721182340p:plain

この資料で書かれていることはかなりの衝撃だった。

 

ぼくも話し相手を自称しているくらいだからコミュニケーションのルールはいくつも持っていて、このことも考えていなくはなかったけど、「伝えた方がよりいいよなぁ」ぐらいのぼんやりとした意識しか持っていなかった。

 

でも考えてみればこれは「必ずそうしなければならない」というぐらい重要なことであり、しっかりと言語化して絶対的なルールとして設定していなかった自分の愚かさに驚いた。

 

でもぼくは「人はごく簡単なことが分からない生き物だ」という哲学を持っているから、同時に「まぁこんなこともあるか」とも思った。今気づけたのはむしろラッキーだと言えるだろう。

 

 

 

聞きそびれたらまた聞き返せばいい

 

案外相手が言ったことをそのままストンと受けとるって難しくて、ちょっと違う意味に理解したりとかポコポコ抜けたりとか、そういうのって起こるんですよね。

そうするとどうすればいいかっていうと、また聞けばいいんだよね。

「さっきここ聞いた気がするんだけどちょっと分かんなくなっちゃったからまた聞きたいんだけど」って言えば、大体みんな親切に教えてくれるので。

誤解すると関係が切れるんですよ。「話が通じてない!」みたいな。

なので、「聞き直す」っていうのはこの先のワークショップでどんどんやってもらって構いません。

  

これも言われてみれば当たり前のことなのに分かっていなかった。

 

ぼくが1番多いパターンは、「相手の話について考えすぎて聞きそびれてしまう」やつ。

 

(この悩みの解決策はこうかな。それともこうかな……あれ、今この人なんて言ってたっけ?)みたいなことがよくある。

 

そういう時、「実際にはそういう理由でも、聞き返したら『真面目に聞いてなかったのね。不誠実な人だな』って思われちゃうんだろうな。まぁ聞き返さなくてもなんとか理解できるだろ」と思って聞き返さないことが多いんだけど、実際にはなんとかならないことの方がずっと多い。

 

2割ぐらいはなんとかなるんだけど、そんな危ない橋は渡らない方がいいに決まっている。聞き返すことこそ誠実なんだから、これからは遠慮せずに聞き返そうと思った。

 

 

 

相手はその話のどこが1番重要なポイントだと感じながら話しているのか推測を立て、なおかつそれが推測だと認識しておく

 

f:id:Rentalhanashiaite:20200724010630p:plain

 

この話のどこが1番の重要ポイントなのかとかというのが微妙にずれると、「話自体は理解されてるんだけどなんか理解されてないな」みたいな気持ちになったりするんですよ。 

なので話を聞きながら、「この話のどこがこの人は1番重要だと思ってるのかな」っていうことを考えながら話を聞いてみると、聞き方が少し変わりますね。

でもこれ、残念ながら分からないんです。人の頭の中だから。

なので、そうやって相手の頭の中について推測は立てるけど、それが推測だということを持っておくんです。

そうしないと「こうなんだな」と思った時にそれが100%にピッて振り切っちゃって、もう「そういう話」っていう風に聞いちゃいますから。

推測をしてなおかつそれは推測であると認識しておく。そうすると、追加で質問したいことが出てくるんです。

「自分は5割ぐらいこうかなと思うんだけど、本当にそうなのか確認しないと分かんないな」っていう気持ちになってくると、聞きたくなるから聞くでしょ。そこに興味が生まれるわけですよ。ただぼんやり聞いてるとあんまりこういう種類の興味って生まれないですね。

 

また自己認識がバグってると思われるかもしれないけど、これはぼくは割と意識できているんじゃないかと思う(前も言ったように「ちゃんとできているか」は分からない)。

 

ぼくはいつもそういうアンテナを立てながら話を聞き、相手の話が終わったら「つまりこういうことですかね?」と推測を話すということをかなり意識的にしている。

 

この前連投した動画でも、ぼくがそうしたことで依頼者の方に「そうですそうです!まさにそういうことです!」と喜んでもらえた場面があったから、客観的な評価から考えてもある程度はできていると思っていいのかもしれない。

 

でもその回数が少ないのが問題で、例えば20分ずーっと話を聞いてやっと推測を話すということをしていたんだけど、これでは相手は20分ずっと不安だし、推測が間違っている場合長い間修正できない。

 

だからこれからはもっとこまめに推測を話そうと思った。

 

 

 

単語をなるべく言い換えない

 

f:id:Rentalhanashiaite:20200724004832p:plain

 

この娘さんからすると、自分の父親っていうのは「パパ」なんですよ。そこで「お父様」とかいう風に別の言葉を当てると、自分の言語じゃなくて他人の言語で言葉を聞いて、それを一度自分の言語に翻訳し直さなきゃいけないわけですよね。これって少し負荷がかかる。

一方で子供と同じ言葉で喋れば、子供はその人のことを味方であると思うんですね。

でも違う言葉遣いをすると、何か別の人種、別の人間であるという違いが認識されやすいし、処理をするためには負荷がかかってしまう。賢い人はそれでも変換して理解できるんだけど。

なので、話す人に話すとか考えるとかいうことにメインの力を注いでもらいたいような時には、なるべく相手の言葉遣いに合わせてこっちも会話してあげるーー相手の言葉、相手の言語で喋ってあげるという技術が重要になってきます。

で、そのための1番シンプルな方法というのが、「単語をなるべく言い換えない」。相手が使った単語は相手が使った通りで使うということです。

 

もちろん全部そうした方がいいわけではないんだけど、基本的には同じ言葉を使った方がいいという話に納得した。

 

ワークショップの直前にも同じ話を聞いて「そうしよう!」と思ったのに早速ミスってしまった。癖を直すのは相当大変だけど、都度意識しまくって必ず直す。

 

 

 

話を聞くのは難しい

 

北村さんもケンタさんもおっしゃってたけど、このワークショップの1番の感想はとにかくこれ。

 

物心ついた時からずーっとやっている「聞く」という行為の難しさにどうして今さら気づいたのかというと、「これまでは要約して説明する必要に迫られていなかったから」だと思う。

 

効果的な読書方法に「読み終わった後に内容を要約して誰かに話すつもりで読む」というものがあるんだけど、これをやってみると、「あれ!? 300ページの本を読んだのに内容ほとんど覚えてない!」ということに気が付いて愕然とする。

 

つまりぼくたちはどれだけいい加減に本を読んでいるかということなんだけど、会話も同じなんだということがわかった。

 

聞いた話を十分に理解できていないのに、それを要約して伝えていないから、「理解できていない」ということが理解できていないのだ。

 

普段の会話は実はそういう状況だったんだ、ということを嫌というほど突きつけられる衝撃的なワークショップだった。

 

 

 

学んだ技術を日常で使うのは難しい

 

ワークを学ぶと結構多くの人が、真面目に取り組みすぎるが故に日常生活でもワーク通りに喋り始めるんですよ。異様なんだよ(笑) 

ワークで色々学んだルールとかやり方っていうのは補助輪みたいなものなんです。いつまでも大人になっても補助輪付きの自転車には乗らないよねっていう話であって。

補助やサポートっていうのは、それを使って何かコツを掴むことができれば最後は捨ててしまって構わない。

だから、「マニュアルは最後には必ず捨てるものなのだ」っていうことは頭の中に入れておいてください。

まずは言われた通り試しにやってみる。そうしてやってみた時に感じたり気づいたりしたことを持って帰ってもらえれば、ワークショップで学んだ意味があるかなと思います。

 

これはたぶん思った以上に難しいんじゃないかと思う。

 

まずモチベーションを保ち続けるのが難しい。その時は「よしやるぞ!」って思っても、数日経ったら忘れたり面倒になったりして学んだことを意識しなくなってしまう人は多い気がする。

 

そして意識していても上手に技術を使うのが難しい。

ワークでは「これはこういうことなんですね? 以上です」みたいな感じで思い切り露骨にやっていたけど(笑)、これを自然にやるのはそんなに簡単なことじゃなさそう。間髪入れずに喋りまくったり怒りながら喋ったり色々な人がいるし。

 

でも、難しくても頑張らないといけないなと思う。

ぼくはレンタル話し相手をやっているからというのもあるけど、どういう人生を送るにしたって、コミュニケーションは一生取り続けるものだからだ。絶対に諦めてはいけない。

 

2回目以降も頑張って貪欲に学んでいこうと思う。

 

 

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第2回目以降の感想記事ははてなブログのぼくのサブアカウントである以下のブログから読める。

 

wakaranaitoomoutamenotaiwa.hatenadiary.jp

 

『レンタル話し相手のブログ』の記事が「わからない」と思うための対話の感想記事だらけになってしまうのも何か違うよなと思いこのような形をとった。

 

毎週力を入れて書いたしどの記事も本当に勉強になると思うので、興味がある方はぜひご覧いただきたい。

  

大学を辞めることをやめることにした話

 

 

「なんと言われようとぼくは大学を辞めます。だから来月から、ここでぼくを雇ってください」

 

頭の先からつま先まで一分の隙もなく感じている震えを必死に抑えながら、ぼくは力強くそう言った。

目の前にはぼくを鋭く睨むNPOの代表が、その横には泣きそうになりながら議事録を取る秘書が、そしてぼくの横には大泣きしている母がいた。地獄だった。



明治大学政治経済学部に入学して1週間も経たない内に、ぼくはこの大学を中退しようと決めた。あまりにも授業がお粗末過ぎたからである。

 

どの授業も、遅いテンポで要領を得ずダラダラと一方的に教授が喋り続けるのだ。活字にして要点をまとめれば10分で学べることをなぜ90分もかけて聴かなければならないのか、ぼくには全く分からなかった。

 

なぜこんなにも教授のレベルが低いのか。高校までだって授業が下手な先生はいたが、その中で1番下手だった先生よりも下手な教授がほとんどなのだ。

というかまずやる気がない。生徒の目を見ない、出欠を取らない、毎回10分近く遅れてくる(こちらは1コマあたりいくらの授業料を払っていると思っているのだ。訴えられたって文句は言えないと思う)、などなど、本当に酷い先生ばかりだった。

 

私立大学の授業の実態を知ったぼくはとてつもないショックを受け、仲良くなったあるクラスメイトに不満をぶつけた。

 

「なんでどの授業もこんなに酷いわけ!? 教授のレベル低すぎるだろ!」

 

すると、その友達は涼しい顔でこう言ったのである。

 

「しょうがないよ。教授の主な仕事は研究することであって、教えるのは専門じゃないんだから」

 

意味が分からなかった。なぜそんな人が教鞭を執れる仕組みに日本の大学がなっているのか、そしてなぜその事をこいつは平然と受け入れられているのか。

 

教育は、人と社会を劇的に良くする素晴らしいものである。

高校までの授業で教えられる内容が実生活にほとんど役に立たないものであったのは、大学受験という制度がある以上、仕方がないと思っていた。

でも受験が終わって大学に入った後は、実生活に役に立つ勉強が思い切りできるのだと思っていた。日本教育の真価は大学にこそあるのだと。

 

そう信じて一浪してまで頑張って受験勉強をしたのに、やっと辿り着いた桃源郷がこれかよと思った。ふざけんなと。

国の偉い人たちは、大学がこのクソ低いレベルの授業を垂れ流してるせいでどれだけの損失が生まれているか分かっているのか。「知らない」がためにこの先不幸な目に遭う人がごまんと出るんだぞ。これから国や世界を背負って立つ若く自由な力を無駄にしているんだぞ。

 

そしてそんな仕組みを仕方ないと受け入れているお前はなんなんだ。特別に意識高くなれとは言わないけど、流石にこの惨状には疑問と不満を持てよ。バカなのか。

だが、その友達が特別にバカなわけではなかった。ぼくはそれから同じことを何人ものクラスメイトに言ってみたが、みんな同じ反応だったのだ。全員バカだと思った。

 

そういうわけで、ぼくは入学したその週にはもう中退する決意を固めたのである。

 

さて、この記事を読んでいるあなたはきっと今、こう思っただろう。

 

「確かに大学側にも問題があるのかもしれないけどさ、だからって辞めるのは違うんじゃないの? どんなに質の低い授業からだって学べることはあるでしょ。自分が今いる環境から何か1つでも学び取ろうとする姿勢が大事なんだって。環境が悪いとか言って逃げるような人は、どんなに優れた環境に行ったって何も学べないよ。一生不満言って逃げ続けるのがオチだよ」

 

もう耳タコになった意見だ。色々な人からマジで20回ぐらい聞いたが、この考えは間違っているとぼくは思う。

 

そりゃ、質の低い授業からだって学べることはあるだろう。授業に限らず体験には、それがどんなものであれ学びになる部分は必ずある。

だが、だからと言ってその体験をし続けるのが最善な訳がない。なぜなら、同じ時間を使って別の体験をすればもっと大きな学びが得られるからだ。

 

仮に、ある質の低い授業を90分受けて得られる学びが10だとしよう。だが、その90分を使って例えば本を読めば50とか100とかの学びが得られるではないか。大学なんて基本的に放任主義で内職し放題なのだから。なぜそういう発想にならないのか、ぼくには本当に分からない。

 

質の低い授業から学べることがあるのは分かっていたし、質が低くない授業も少しはあった。だがどんな授業も、自分で学ぶスピードには到底敵わないと思った。

ぼくは勉強するために大学に入ったのだ。世界平和を実現する男がこんなところで4年間も時間を浪費するわけにはいかない。だからぼくは、逃げたいという気持ちからではなく合理的な考えから、大学を中退することに決めた。




とは言え、流石にすぐ辞めるわけにはいかない。ぼくの夢までへの道は無数にあるが、どの道を選ぶか決まりもしないのに辞めたって途方に暮れるだけだからだ。そういう冷静さはあった。

 

最善の道を選ぶために本を読んだりインカレに入ったり色々した結果、ひょんなことからぼくはとある障害者就労支援をするNPO法人インターンシップをすることになったのだが、インターンシップを始めてすぐ「最初の道はここだ!」と確信した。そのNPO法人の代表に惚れたからである。

 

30歳の若さで強力なリーダーシップを発揮し、優しくも厳しく、火傷しそうなほど熱いその男の元で修行したいと思った。数年間そうやって力をつけ、何かしらの起業をする。それが最善最速の道だと考えたのだ。




そういうわけで、大学2年の3月12日に冒頭のシーンになった。定期面談という名目だったが、ぼくの大学中退について話し合う場だった。

 

その日までに代表と約10人の社員全員と母から散々反対されていたにも関わらず、ぼくはこの場で代表も母も説得し、明日にでも大学を中退し、4月からこの法人に雇ってもらおうと本気で考えていた。

思想的にはともかく契約的には、柔軟な法人とは言え来月からいきなり雇用してもらうなんて無理に決まっているのに、なんとかなるだろうという無茶苦茶な考えをしていた。

 

母が泣きながら言った。

 

「あんたには障害があって、父親が外国人で、母子家庭でっていう3つの社会的な不安要素があるの。その上『明治大学卒業』っていう経歴まで無くなったらこれから先絶対に苦労するの」

 

中退してこのNPO法人に就職したいと打ち明けた1ヶ月前にも言われたことだった。それから今日まで、ほとんど口をきかずに過ごしてきた。

 

「だからさ、ぼくは起業するから学歴とか全然関係ないんだって。もし起業できなくて結局どこかに就職しなきゃいけなくなっても、ぼくは中退した理由をちゃんと合理的に説明できる自信があるし」

 

「あんたはそう思ってても、社会は実際にそうはなってないの!」

 

怒鳴る母をチラリと見てから、代表が口を開いた。

 

「大学を続けた方がいい理由は色々伝えてきたけど、全部もういいよ。今日まで俺にあんだけ詰められても負けないってことは、中退しても逃げグセはつかないだろうしね。

でも、お母さんが反対してるなら絶対に駄目だよ。大学は続けなさい。大学に行きながら同時にここで修行すればいいじゃん。卒業したら正式に雇うって約束するから。なんでそれじゃ駄目なの?」

 

「ですから、大学に拘束される時間が無駄なんです!」

 

ぼくは即座に言い返した。

 

「ぼくは将来多くの人を助けるんです。仮に1年間に1万人を助けられるようになるとして、2年間遠回りしたら2万人が不幸になる! だから、母は大好きだしできれば大切にしたいけど、たった1人の母のために2万人を犠牲にするわけにはいかないんです!」

 

常人にはおよそ理解できない思考だろうが、当時のぼくは本気でそう考えていた。だから焦っていたのである。

 

また母が泣きながら言った。

 

「お母さんにとってはそんな存在するかも分からない2万人より、あんたが大切なの! 何十年後かにあんたの言うことが本当だったって分かったらお母さんは土下座して謝るわよ。だから今はお母さんを恨んでもいいから、大学だけは卒業しなさい」

 

流石に、もう無理だと思った。どう考えてもこの場で母と代表を説得できるとは思えない。

中退自体を諦めたわけではなかったが、少なくともこの場は引くべきだと思い、ぼくはしぶしぶ口を閉じた。面談は終わった。



帰り道は本当に最悪の気分だった。

なんとか気分を紛らわせようと、ぼくは自分にとって1番のストレス解消になる場所に行った。漫画喫茶である。


ぼくは壁にぶち当たった時、しばしば物語に救いを求める。物語に出てくる生き様やセリフなどによって、その時の悩みがパッと解決することがよくあるからだ。

どこかに今のぼくを救う物語があるだろうか……。
そう思いながら本棚を眺めていると、あるタイトルに目が留まった。

 

罪と罰』である。

 

言わずと知れた、人の業を書いたドストエフスキーの大作。

原作の小説を読んだことはなかったが、『マンガで分かる』シリーズで非常にコンパクトにまとめられた漫画を読んだことならあった。

 

その内容はぼんやりとしか思い出せなかったが、なんとなくこの漫画を読んでみることに決めた。理屈では説明できない直感が働いたのかもしれない。

 

昔のロシアではなく現代の日本バージョンにアレンジしたその漫画は、ぼくが読んだ『マンガで分かる』シリーズよりもずっと丹念に書かれており、あまりのリアルさにあっという間に没入した。

 

この漫画の凄いところは、とにかく主人公のキャラクターにある。

彼は平凡に暮らしている大学生なのだが、「自分は本当はとてつもない能力と可能性を持った選ばれた人間なんだ」と強烈に信じており、そのことを示すために売春を斡旋している極悪女子高生を殺害する。

しかもそれだけでは済まず、その現場を目撃した罪のない女子高生をも殺してしまうのだが、なんと一切悪びれないのだ。

 

「悪を成敗した自分は間違ってない。罪のない女子高生を殺してしまったのも仕方がなかった。だってそうしなければぼくは確実に捕まっていたんだから。これから誰よりも偉くなり世の中を良くしていく自分が捕まってしまうのは社会の損失じゃないか!」

 

ぼくはこの男を、最低な人間だと思った。罪のない人を殺しておいて悪びれないなんてどうかしている。気味が悪いとさえ思った。

しかし、漫画を読みながら、ふと気がついたのである。

 

 

ぼくもこの男と同じじゃないか、と。

 

 

もちろん、ぼくは殺人なんて絶対にしない。だが違うのはそこだけで、「自分は社会を良くする有能な人間なんだから自分の未来の為なら誰かを傷つけてもいい」と考えている部分は全く一緒ではないか。

 

いや、そう考えてもいい場合があるとは思う。例えば会社を辞める時なんかはそう考えなければ無理だろう。

だがそういう場合でも、自分がかける迷惑や他人の痛みに謙虚に心を痛めながらそうするのと、ほとんど心を痛めずに傲慢にそうするのとでは全く違うのではないか。行動は同じでも、両者のその後の人生は天と地ほどに違ってくるのではないか。

 

漫画喫茶の個室で、ぼくは自分の心を見つめ返してみた。最近のぼくには、傲慢さがなかっただろうか?

 

 

大いに、あったと思った。

 

 

大学の授業に疑問を持たない学生を全員等しくバカだと決めつけ、その人たちにもその人たちなりの考えや葛藤があるかもしれないと想像しようとしていなかった。

 

毎日必死に働いているNPO法人の代表を尊敬しつつも、30歳にもなってこんな小さな組織でしか働けないのかと見下していた。

 

母がどれだけの想いでこれまでぼくを育ててくれたのか分かろうとしていなかった。母がぼくの将来を心配する気持ちには、汲む価値がないと思っていた。

 

あまりの自分の愚かさと恐ろしさに、気がついたら涙が出ていた。

天井を見上げながら、ぼくは思った。

 

 

このままお母さんを泣かせて大学を中退したら、ぼくはろくな大人にならないなぁ……。

 

 

何十年か先、もし本当に毎年のように何万人、何十万人救えるようになったとしても、その時のぼくの心はひどく曲がっているだろうなぁ。その曲がりを直すことはたぶん二度とできないだろうし、そんなねじ曲がった人が救える人の数は、結局限られてしまうだろうなぁ……。

 

今度は『罪と罰』の主人公を見つめながら、思った。

 

 

大学は続けよう。

 

 

学生のうちに色々勉強しておいた方がいいとか、お金が絡まない経験をたくさん積んでおいた方がいいとか、色々な人に色々なことを言われたけど、そんなこと全部関係ない。大学に通い続けるのは効率が悪いという考えも変わらない。

 

今あるぼくの傲慢さを直すため、そしてぼくの将来を心配する母の気持ちを汲むために、大学は卒業しよう。

 

漫画喫茶の個室でぼくは一人、十分ほど泣き続けた。

 

 

 

家に帰ると、お母さんがぼくに背を向けて台所に立っていた。

ぼくは深呼吸をしてから、「お母さん」と明るく言った。

 

「やめることにしたよ。大学を辞めるのは」

 

お母さんは振り返り、パッと笑顔になる……かと思いきや、憤怒の表情になり大声で怒鳴った。

 

 

「紛らわしい言い方をするのはやめなさい!」

 

 

ドラマみたいな言い方が通じるのは、ドラマの中だけらしいと学んだ。

 

 

 

その後ぼくは、イエスマンキャンペーンをやってみたり学生起業を目指してみたり、卒業まで色々な経験をした。

NPO法人インターンシップは試しに1回休止してみると、急に視野が広がり、やっぱりあのNPO法人に就職するのはぼくの夢への最善の道ではないと思い直した。もちろん素晴らしい会社だったけど、やはり非常に狭い視野に囚われていたなと思う。

 

人間関係も目に見えて変わった。母との関係が元通りになったのはもちろん、所属していたインカレや高校時代から付き合い続けている友達との関係が急に劇的に改善したのである。

 

それまではぼくが尖りすぎて問題を起こしまくり、かなり嫌われていたのだが、大学を続けることに決めた途端に急にみんなから好かれるようになった。自然と丸くなったんだと思う。

 

そして肝心のぼくの夢だが、道を順調に進んでいるかというと全くそうではない。

学生起業は諦め、学生最後の挑戦だった小説は失敗に終わり、卒業してから一流企業に勤めたものの4ヶ月で辞め、インフルエンサーを目指しているものの2年間結果が出せていないという散々な道を歩いている。

 

だけど、大学で得た経験も大学卒業後の経験も全て必要なものだったと思っている。これは負け惜しみでもこじつけでもなく本当に、全ての経験が糧になっていると実感しているからだ。あの時大学を辞めていたら、ありとあらゆる貴重な経験を得る機会を失っていただろう。

 

大学1年生の時、高校時代の恩師にこう言われたことがある。

 

「人生は長い。焦るな」

 

その時は全くピンと来なかったが、今は、この言葉の意味がよく分かる。

 

未来との別れ

 

「私たち……もう終わりなの?」

 

……うん」

 

 泣きながら尋ねる未来の顔を直視できず、うつむきながら答えた。重い沈黙の時が流れる。

 

「失礼致します」

 

 いい具合に店員が静寂を破ってくれた。先ほど頼んだショコラケーキをそっとテーブルの上に置きながら、チラリと未来の顔を見る。渋谷のカフェにいると、やはりある程度の注目は免れなかった。

 

 ぼくはショコラケーキを見つめながら、ふーっと息を吐いた。

 

「やっぱり……ぼくたち、もう無理だよ。続かないと思う」

 

「なんで?」

 

「未来のこだわりには、もうついていけないんだ」

 

 意を決して言うと、未来はバツの悪そうな顔をした。「それくらい」と言いかけるので、思わず制する。

 

「それくらいって程度じゃないだろ。家では服と部屋着とパジャマを分けなきゃいけない、お風呂場は順番通りに水はけしなきゃいけない、ベッドに入る時は足の裏をウェットティッシュで拭かなきゃいけない……そんな異常なこだわりをパートナーにまで押し付けて、守らないといちいち怒るんだもん。悪いけど、もう限界だよ」

 

 未来は眉間に皺をよせ、訴える様な目つきをした。

 

「でも、付き合うとき、そんな私でもいいかって聞いたら、『いいよ』って言ってくれたじゃない」

 

「そりゃ、付き合う時はね。最初は愛があったからぼくもそれに全然合わせられたよ。でも3ヶ月も付き合ってそれが日常になってくると、いくらなんでもキツイって」

 

 未来は何か言い返そうとして口を開き、結局閉じてしまった。再び静寂が訪れる。

 

 気まずさに絶え切れず少しだけ横を向いたら、隣りのテーブルにいる人がこちらを向いているのに気がついた。制服を着た男子高校生2人組だ。「あれひょっとして……」「だよな」と興奮してこっちを見ている。一睨みすると、2人ともすぐに首の向きを元に戻した。「誰だよ」と微かに聞こえた気がした。

 

「あと一つ聞いていい?」未来が暗い声で言う。

 

「何?」

 

「どうして抱いてくれないの?」

 

 思わずむせそうになった。普通の声量だったけど、耳を澄ましているだろう隣りの男子高校生にはたぶん聞こえている。

 

「最近、私がいくら頼んでも全然抱いてくれないじゃない。疲れたとか明日早いとか言い訳ばっかりして。抱くどころかキスもしてくれないし。私じゃ不満?」

 

「そ……それは……かみ…………たから」

 

 我ながら情けないぐらい、声がかすれた。

 

「何? 聞こえない」

 

「だから……神本竜之介と付き合ってたって言ったから!」

 

 思い切って言ってしまった。ぼくが未来と続けられない、本当の理由。

 

「え?」未来が目をぱちくりさせる。

 

「それが……何?」

 

2週間くらい前に、実は昔神本竜之介と付き合ってたって言っただろ……それが嫌なんだよ……

 

「そ……それの何が問題なの? もうそれは終わったって言ったでしょ? 彼が佐藤ひなこなんていう巨乳女に浮気したからって! 信じてないわけ?」

 

「信じてるよ。でもぼくは……一度も異性と付き合ってない子と付き合いたかったんだよ!」

 

「はあ?」

 

 怒っているのではなく、単純に理解できない「はあ?」だった。未来の鋭い眼光は怖かったが、一度言ってしまえば、あとは言わないでいる方が辛かった。

 

「最初の彼女は、ぼくが初めての彼氏になる人にするって、ずっと前から決めてたんだよ。それなのに、実は神本竜之介と……イチャイチャしてたなんて!」

 

「何よ! 私の体が汚れてるって言うの?」

 

「違うよ。でも、この綺麗な体を神木竜之介が触ったと思うと、色々考えちゃうんだよ。

 

それに、もしかしたら他の男ともそういう関係になったんじゃないかとも考えちゃって……。『13才の母』で三沢春馬と恋人役やって惚れたりしなかったの? 探偵学園Rで共演した山崎涼介なんて、コンサートに行ったんだろ? 好きっていう証拠じゃないか!」

 

「それは『探偵学園R』で共演して友達になったからよ!」

 

「そうやって言い訳ばっかりして信じられるわけないだろ! これからどう付き合って行けばいいんだよ。ねえ教えてよ……未来は一体誰が好きなの? 三沢春馬? 山崎涼介? 神本竜之介?」

 

「あなたよ!!!」

 

 未来が立ち上がり絶叫した。店中の客がこちらを振り向く。

 

「神本竜之介が何よ! 三沢春馬が何よ! 山崎涼介が何よ! みんな顔だけじゃない!私は崇史が好きなのよ!!」

 

 ついに大声で泣き出す。ぼくは口をポカーンと空け、ただ未来の顔を見つめていた。

 

店内中の客が口々につぶやくのが聞こえる。

 

「何?」「あの子、もしかして……」「何で泣いてるの?」「あの男彼氏?」「いや、あの子の彼氏にしてはダサすぎでしょ」「じゃあタカシって誰?」「さあ」

 

 呆気にとられたまま、ぼくは声を絞り出した。

 

「み、未来……ごめん、ぼく──」

 

「もういいわよ!そんなに私のことが信用できないんでしょ!」

 

「違うよ。ぼくは未来のことが好きだから、ただ嫉妬しちゃって……

 

「今更そんなこと言ったって遅いわよ! そんなに処女性が大事なら、男性と一度も付き合ったことない人にずっとこだわってればいいじゃない! だいたい23歳にもなって彼女の1人もできたことないってのがおかしいのよ! そんなつまんないことを無駄に気にするのも、あなたが子供だからでしょ? ずっと探してれば? あなただけのお姫様を、50歳になってもずっとね!!」

 

 いくらなんでも言い過ぎだ。ここまで言われたらぼくも黙っているわけにはいかなかった。勢い良く立ち上がる。

 

「そんなこと言ったら未来だって同じだろ! うどんは3本ずつとらなきゃだめ? 服は畳んでから着る? そんな異常なこだわりに全部合わせてくれる人なんて日本中探しても誰もいないよ! だから神本だって浮気したんじゃないの? やっぱり神本の気持ちが分かるわ!!」

 

「じゃあなんで私のことを好きになったのよ!!」

 

「綺麗だからだよ!!」

 

 え、と未来が不意をつかれたような顔になる。え、とぼくも困惑した。感情とは裏腹に、気づけば口をついて出てしまっていた。でも言った途端、未来に対する想いが溢れてきた。

 

「顔はもちろんだけど……魂が綺麗だからだよ! 芸能界でどれだけチヤホヤされても謙虚でまっすぐで、努力家な姿に惚れたからだよ!」

 

 未来が口をパクパクする。顔が真っ赤だ。

 

「もっと言おうか? 正義感が強い所! ツナを美味しそうに食べる横顔! なるべく正直であろうとするところ! 手作りの料理が美味しいところ! 子供のような寝顔! どれも大好きだよ!!」

 

 絶叫だった。ハアハアと肩で息をする。もはや店内中の客全員が一言もしゃべらずぼくたちを見ていたけど、全く気にならなかった。

 

「こっちこそ聞かせてもらうけど、そんなに言うんだったら、未来はなんでぼくのこと好きになったわけ?」

 

「それじゃ、言わせてもらうわよ」涙をぬぐって、未来は目を見開いた。

 

「全部よ!! 優しいところも、真っ直ぐな目も、正義感が人並み外れて強いところも、子供っぽいところも、嘘が下手なところも、キスがうまいところも、全部大好きよ!」

 

 未来も肩で息をし、2人はしばらく黙って見つめ合った。そして、2人同時にえーんと声をあげて泣き始め、抱き合った。

 

「好きだ」

 

「私もよ」

 

 未来の髪が鼻に当たる。シャンプーの香りがした。いつまでも、こうして抱きしめていたかった。それでも、言わなければならない。

 

「でも」とぼくが言うと、

 

「もう」と未来が応えた。

 

「続けられない」

 

「うん」

 

「こうなる運命だったんだ」

 

「そうね」

 

「お互いの幸せのために」

 

「別れましょう」

 

 合図もせず、2人は同時に手を放した。再び見つめ合う。ありったけの力を振り絞って、ぼくは笑った。

 

「未来はさ、名前の通り、未来に向かって生きなきゃ駄目だ。こんな過去を引きずるような男より、もっと良い男と付き合うべきだよ」

 

「崇史も、こんなわがままな女よりもっと素敵な人が見つかるよ」

 

「ありがとう。じゃあ、お互いの未来のために」

 

「ええ」

 

 最後は、2人声を揃えて言った。

 

「さよなら」

 

 2人同時に歩き出そうとしたとき、割れんばかりの爆発音が響いた。え、と思い周りを見ると、それは店内中の客の拍手だった。

 

「素晴らしい! 2人は素晴らしいです!」

 

「いいものを見せてくれてありがとうございました!」

 

隣りの席にいた男子高校生2人が叫ぶ。顔を真っ赤にして号泣していた。他にもあちこちから「素敵ね!」「最高だぜ!」などと聞こえてくる。

 

「みなさん……ありがとう!」

 

 未来が言い、お辞儀した。ぼくも合わせてお辞儀した後、男子高校生に向き直った。

 

「君たち……彼女はいる?」

 

「います」「ぼくはいません」と、2人が口々に答える。

 

「そうか」ぼくはふっと笑ってから、いないと答えた方を指差した。

 

「彼女を作るコツは、焦って下手に彼女を作ろうとしないことだ。まずは男を磨け。そしたら、自然と女性はついてくる」

 

「はい!」

 

「それから君」もう一人の方を指差す。

 

「彼女に優しくしてやれよ? ぼくみたいに、泣かせないようにな」

 

「はい!」

 

 2人とも満面の笑みでうなずいた。

 

「じゃ、行こうか、未来」

 

「ええ」

 

 2人が歩き出すと、拍手がいっそう大きくなった。大勢の人々の笑顔と泣き顔に囲まれながら、ぼくたちは店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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無粋であることは承知していますが、必要な事だと思うので注釈を添えます。

 

この話でぼくは女性の処女性に強いこだわりを持っていることを彼女に打ち明けていますが、これは本来は厳に慎むべき行為です。

 

何故ならそのことによって、「性体験のある私は汚れているんだ」と、その女性を傷つけ苦しませてしまう可能性があるからです。

 

もちろん、性体験があるからといってその女性が汚れているなんていうことは一切ありません。

 

この話のぼくのように考える男は確かに一定数いますが、それは男の勝手な妄想に過ぎず、女性がその考えや言葉を真に受け傷つき悩む必要はありません。

 

数えられないほど多くの性体験を積んでいようと、自分は性体験のない人と変わらない綺麗な身体と高潔な魂を持っているのだと胸を張ってください。

 

 

ただ一方で、もしこの話を読んで処女性を気にする男性の心理に強い嫌悪感を持った方がいたとしても、それを人でなしのように蔑視し公然と非難することは控えていただけると嬉しいです。

 

許しがたいエゴだとしても、一定数の男はやはりどうしても、女性の処女性を気にしてしまうのです。それは例えば、容姿が綺麗でない人のことを異性として好きになれない人がいるのと同じような話です。

 

容姿が綺麗な人を愛せない心理と同じように、処女性を気にしてしまう心理は、「それを言われて傷つく人の前で言うこと」が問題なのであり、「そういう心理を持っていること」自体は大きな問題ではありません。「思うこと」は自由なのです。

 

この話では、彼女に「どうして抱いてくれないの?」と強く詰められたので「正直に言うのがベストだ」と判断しぼくはあの告白をしました。その判断は正しかったのか、あるいは嘘の理由でごまかした方が良かったのか、それは誰にも分かりません。

 

 

以上、何も書かなければ多くの女性を傷つけ怒らせてしまうと思ったので、野暮ではあると思いましたが注釈を書きました。

 

え、ぼくは今はもう処女性にこだわっていないのかって?

 

 

それは、ご想像にお任せします。

 

【相談】転職したいと思ってる自己中な自分が情けない→一番大切なのは自分の人生だよ。

 
 
隼人(仮名)という同い年の男友達から、ある日こんなことをLINEで言われました。
 
 
ー今の会社が合わないしスキルアップをしたいから転職したいんだけど、今の会社の人たちには本当にお世話になったから辞めるのがすごく申し訳ないんだよね。申し訳なさすぎていつまでも上司に切り出せなくて、最近マジで情緒不安定になってる……。こんな自己中な理由で辞めようとしてる自分が情けないよ……。
 
 
「もしかしたら少しその気になるかもしれないと思うことちょっと長く言っても大丈夫?」と聞いて許可を得てから送った長文を公開します!
 
 
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会社を辞めるって言った時のみんなの顔とか、辞めた後みんなにかかる迷惑とか想像するのってめちゃくちゃキツいよね……。ぼくも新卒で入った会社を4ヶ月で辞めた経験があるから、気持ちはけっこう分かると思う。
 
ただ今の話を聞いて、ぼくは隼人のこと、自己中どころかむしろ立派な人だと思ったよ。身の回りの人を無下にできずに自分の行きたい道に進むのを躊躇しているその人間性が、素敵だと思った。
 
で、辞めてもいいかどうかだけど、普通に辞めていいんじゃない?
 
「自分のために他人に迷惑をかけること」ってすごく悪いことだとされてる風潮があるけど、ぼくはそれってそこまで悪いことじゃないと思うんだよね。
 
だって、一番大切なのは自分の人生じゃん。

そりゃ人に迷惑をかけないに越したことはないけど、「自分の幸せ」と「他人に迷惑をかけないこと」を天秤にかけた時に前者を取ることは悪じゃないでしょ。もちろん無罪じゃないけど、「しょうがない」で済む話だよ。
 
 
ただ1つすごく大事だと思ってることがあって、それは「ちゃんと『申し訳ない』って思うこと」。
 
同じ「人に迷惑をかける」行為でも、心から「申し訳ない」って思いながらするのと、「他人への迷惑なんて知らねえよ」って思いながらするのとでは全然違うと思うんだよね。後者の人はどんどん曲がっていって、結局ロクな人間にならないと思う。
 
 
で、この観点から言えば、隼人は大丈夫だと思うんだよね。
隼人が人間できてないクソ野郎だったらぼくもどうかなと思うけどさ、これまで何度も伝えている通り、隼人は十分すぎるほど素晴らしい人格を持ってるじゃん。
 
 
今の会社を辞めたいのは自己中だからじゃない。人に迷惑をかけることを十分に理解した上で、それでもどうしても今のままじゃ嫌だと思うからだよ。
 
「人に迷惑をかけること」と「自己中じゃないこと」は両立するとぼくは思う。
 
だからそんなに自分を卑下せずに、今の会社は普通に辞めたらいいんじゃないかな?
 
 
もっと簡単に言おうと思ったのに予想以上に長くなってごめん!
  
後ろめたい気持ちを持ちながらも毅然として、自分にとって最も良い道を選べば良いと思うよ!