ぼくの「人生の勝算」

 


ぼくは今月、自分の人生に勝つ。

 

具体的にはフォロワーを1000人以上にし、大勢の人から注目される人になる。

ぼくの人生のゴールはもっとずっと先にあるからめちゃくちゃ小さな一歩だけど、ひとまず無名ではなくなるのだから、これはぼくの人生における最初の勝利だと言えるだろう。

 

これまでぼくは、ずっと負けっぱなしだった。

有名になろうと色々な挑戦をしてきたけど、どれも上手くいかず燻り続けた。

 

「まだ歯車が噛み合っていないだけだ。ぼくは必ず大物になる」

 

何度もそう言ったけど、周りは誰も取り合わなかった。

 

友達には「バカじゃないの?」と笑われ、

先生には「いい加減現実を見ろ」と怒られ、

親には「あなたは凡人なのよ」と泣かれた。

 

 

1人、ぼくの可能性を信じなかった。

 

 

でも、ぼくはぼくを信じた。

世界中でたった1人、ぼくだけはぼくのことを信じ続けた。

 

成功してから偉そうなことを言うのは簡単だから、成功してしまう一歩前の今、「自分を信じることの大切さ」を語ろう。

 

 

 

ぼくが思うに、成功という軸において「自分を信じる」という行為には2つある。

 

 

1つは、「過程がどうあろうと自分はいつか必ず成功を掴める」ということを信じること。

 

見当違いの考えをしていようが、無能だろうが、大失敗をしようが、それが過程である以上最終的な成功とは何の関係もない。

ぼくは夢ができてから実に6年間なんの成功も掴めなかったが、「一生成功できないんじゃないか?」と疑ったことは今日まで一瞬もなかった。

 

 

もう1つは、「自分の選んだ道を進み続ければ成功できる」ということを信じること。

こちらは少々複雑だ。

 

ほとんどの分野において、成功への道は無数にある。

最初はどの道を進めばいいか分からないだろうから、あちこち色んな道を試してみればいい。

そうしていればその内、「これだ!」という道が見つかる筈だ。そうしたらその道を信じて全力で突き進もう。

 

ただしこちらの「信じる」は、盲目的にやってはいけない。

「正しいと思っていた道がやっぱり間違っていた」ということは往々にしてあるから、「もしかしたらこの道は間違ってるんじゃないか?」と何度も疑わなくてはいけない。

だけど、疑って疑って、それでもやっぱり正しいと思えるなら、別の道の方がいいと明らかに分かるまで、あるいは行き止まりにぶつかるまで、その道を信じて突き進まなくてはいけない。

 

ぼくは色んな道を試した末に、この「レンタル話し相手」という道にたどり着いた。

この道は100%成功する自信がある。いや、いつも「100%成功する」と言って失敗してるんだけど、今度こそは絶対だ。

「話すこと」「文章を書くこと」「論理的に考えること」というぼくの強みを全てを活かせるし、ニーズが無数にあるし、時流にも乗っている。これで成功しないなんてあり得ない。

 

だけど周囲の反応は相変わらず悪く、この活動が上手くいくとは誰も思っていない。

ぼくの強みも考えも、誰1人として認めていないのだ。

 

こうなると普通であれば、自信を失ってしまうだろう。

「ぼくの強みって大したことないんだ」とか「考えが間違ってたんだ」とか思って、その道を進むのをやめてしまうだろう。

 

何故ならぼくたちは、人からの意見や評価はきちんと受け止めるべきで、そうしないのは頑固で愚かだと教えられているからだ。

 

でもぼくは、必ずしもそうだとは思わない。

何故なら、その「他者の意見や評価」が間違っている可能性もまた、往々にしてあるからだ。

 

だから、その評価が本当に正しいのかを冷静に客観的に吟味する必要がある。

ぼくはそうした結果、「周囲の評価はほぼ正しくない」という結論に行き着いた。

 

誰もぼくに期待しないのは「ぼくがナメられている上にズレているから」であり、ぼくの強みが弱いわけでも、考えが間違っているわけでもないと、あくまで冷静に判断した。

 

だから、評価によってぼくの行動を変えるのではなく、ぼくの行動によって評価を変えてみせようと思った。

結果を出しさえすれば誰もぼくをナメなくなるし、ぼくのズレが正しかったことになる筈だ。

 

(ただ、どうか誤解しないで欲しいのだけど、ぼくの周囲の人の眼力が際立って劣っているわけではない。みんな普通の良心的な人々だ。

他者の評価なんてぼくだってたくさん間違えているだろう。つまり、「人なんてそんなもん」ということを言いたいのだ)

 

人からの評価なんて一切気にしなくていいわけではない。自分の能力や考えを盲目的に信じるべきとも思わない。

基本的に評価は参考にした方がいいし、最終的に成功すること以外は都度疑うべきだ。

 

しかし、

 

【本当は高いポテンシャルを持っているにも関わらず、それが世間と噛み合っていなかったりナメられているために不当な評価を受けている場合】というものは存在する。

 

【本当は正しいのに、時代が追いついていないせいで間違っているとみなされる考え】も存在する。

 

両方、世間で思われているより遥かに多くあるとぼくは思っている。

 

ぼくは成功者の人生譚を数多く見聞きし、そういう事例が山のようにあることを知っていたから、どれだけ低い評価を受けても自分の道を信じることができた。

 

そういう訳だから、誰にも理解されないからといって自信を失う必要はない。だけど、「オレのことを理解できないなんて!」と文句を言っていても仕方がない。

こういう心意気が必要だ。

 

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福本伸行作 『無頼伝 涯』より

 

そう、結局は自分次第なのだ。

自分を認めさせたいなら自分が頑張るしかない。ぼくの場合は口でどうこう言うのではなく、とにかく結果を出すしかなかった。

結果を出せなければ、自分は永遠に間違っているままだ。自分の正しさを、力を理解してもらいたいなら勝つしかない。

 

ぼくは膨大な試行錯誤と行動の末にようやく、自分が勝てる道を見つけた。

今月ぼくは、自分がただの夢追いの少年ではないことを、生まれて初めて自分以外の人々に証明できるだろう。

 

全ての夢追い人に、ぼくはこう伝えたい。

 

疑うべきことは徹底的に疑え。

だけど信じるべきことは、周囲の誰1人として信じなくても、自分だけは信じ続けよう。

 

勝ちさえすればあなたのことを、みんなが認めるようになるから。