ぼくはなぜ誰からも認められなかったのか?
ぼくは並外れた論理的思考力を持っていると自負している。
ぼくの思う論理的思考力とは、
「筋道に則りながら延々と深く考え最善の答えを導いたり、複雑な事柄を分解し分かりやすく説明したりする能力」
のことだ。ぼくはこの能力に極めて長けている自信がある。
だが、ぼくのこの能力はこれまで、ほとんど誰にも認められてこなかった。
認めてくれた数少ない人たちに失礼になってしまうから「ほとんど」と言うけど、実感としては「全く」と言いたいぐらい、本当に誰からも認められてこなかった。
それがぼくは、本当に悔しかった。
ぼくには幸いにも、親しい人がたくさんいる。概ねみんなぼくのことを好いてくれているし、優しい人だとか面白い人だとかも、たぶん思ってくれているだろう。
それだけでも有難いということは分かっている。だけど、そうじゃないのだ。今のぼくはもう、それだけでは全く満足できないのだ。
優しい人とか面白い人とかじゃない。ぼくは、「すごい人」だと思われたいのだ。「頭いいんですね」と言われたいのだ。
尊敬されたい。偉くなりたい。人望が欲しい……。ずっとそう切望していた。
さて、今、ほとんどの人はこう思っているだろう。「どんだけ自信家で欲まみれなんだ。もっと謙虚に無欲に生きないとダメだろ」と。
だがぼくは、世間で広く信じられているその良識に異議を唱えたい。 自信や欲を持ったり、そのことを公言したりすることの一体何が問題なのかと。
「だって、自省できなくなったり、利己的になって他者を蔑ろにしたりするだろ」
こういう意見が出てきそうだが、果たして本当にそうだろうか?
「自信を持つこと」と「自省すること」は全く別の概念だ。自信が無い上に自省もできない人がいるように、自信を持ちつつ自省することは普通にできるのではないだろうか?
偉くなりたいなどという欲求があるのは人間として自然なことだ。他者を損ねることなく自身の欲求を満たすようにすれば何の問題もないのではないか?
また、自信や欲を公言することによって、信頼を得たり世の中の間違った認識を改めることができるのではないだろうか。自信のない歯科医に自分の歯を抜いてもらいたいと思う人がいるだろうか?
以上のような思考から、ぼくは基本的に、誇るべき能力を謙遜したり満たしたい欲求を隠したりしないと決めている。理解してもらえると幸いだ。
ちなみに、これがまさに「論理的思考力」である。
(話の流れから自然に自分の論理的思考力を証明するという離れ業である)
ぼくはこのように自分の考えを語るのが好きで、そうすることが許されているあらゆる場で今のような話をしてきた。
自分の筋道だったロジックにみんな感心してくれるに違いないとぼくは思っていたが、実際はどういうわけか、全くそうならなかった。
核心を突いたことを話しているつもりなのに、誰もその言葉に価値を見出してくれないのだ。めんどくさいことを言ってるなと煙たがられたり、バカなことを言っていると否定されたりしてばかりだった。
言いたいことが山ほどあるのに、自分の言葉が誰にも届かない。
この悔しさや虚しさが分かるだろうか?
この6年間ぼくはずっと、そんな堪え難い孤独の中にいた。
さて、なぜそんな状態が続いたのだろうか。
論理的思考力に長けていると思っているのは自分だけで、本当はバカだったからだろうか?
それは違うとぼくは思う。
この記事で書いた、「本当は高いポテンシャルを持っているにも関わらず不当な評価を受けている場合」に該当していたからぼくは認められなかったのだ。
では具体的にどういう理由で不当な評価を受けてきたのか? 長い間一人で考えてきたその分析結果を今ここで発表しようと思う。
なぜ今かというと、ぼくはおそらく今日(予定よりだいぶ遅くなってしまったが)、上記のブログで宣言した「フォロワー1000人」を達成し、大勢の人から注目される人になるだろうからだ。
そして1ヶ月も経つ頃には、ぼくの論理的思考力を多くの人が認めてくれるようになるだろうからだ。
この分析結果は認められてしまう前に言う方がずっと面白いので、今発表する。
なぜぼくは認められなかったのか?
①ズレていたから
「ズレ」というのは何も悪いものばかりではない。ここで言う「ズレ」は、良いものの方だ。
ぼくの主張には逆説的なものが多く、「みんなこう考えてるけど、本当はこうじゃない?」ということをよく言う。
これは何故か? ドラゴン桜の外伝である『エンゼルバンク』という漫画が分かりやすく説明しているので紹介しよう。
こういうわけで、成功者は必然的に世の中の多数派とは真逆の考えを持つことになる(もちろん、王道を行き成功する人もいる)。
これは数多の成功者を調べていけば自明なこの世の真理であり、「誰にも理解されない時期がある」というのは、昔も今も成功者の宿命なのだ。
だがぼくは、逆説的ではないことを言うこともたくさんあった。
それでも認められることがなかったのには、2つ目の理由が関係している。
②ナメられていたから
これがぼくは大きかった。ぼくはこれまで本当にナメられまくっていた。
その原因はいくつかある。
・見た目も喋り方も子供っぽい上にボケまくるから。
ぼくは身長が161cmしかないし、高い声で子供っぽい喋り方をしてしまう。たぶん何を話しても、まるで小さいヒナ鳥がピーチクパーチク言ってるようにしか聞こえないのだろう。
また、息をするように常にボケてしまう(自制できない)という厄介な性質もある。
「頭いいのにボケてるギャップが素敵」と思われているのだと思っていたのだが、単に「バカがバカをやってる」と思われているだけだったようで、ナメられる原因になっている。
・バカな部分は本当にバカだから。
論理的思考力に長けすぎていることによる副作用なのか、ぼくには驚くほどバカな部分が多くある。もうこれは仕方ないと半分諦めている。
・変態っぽいから。
レンタル話し相手のアカウントではまだそういうキャラを出していないが、ぼくは実はONE PIECEのサンジのような性格も持っていて、性や恋愛感情についてあけっぴろげに話すことをよくするのだ。
本当に引かれないように気をつけてはいるが、仲間内ではけっこうな変態キャラになってしまっている(なぜサンジっぽく振る舞うのかにはちゃんと哲学があるのだけど、ここでは割愛する)。
そんなこんなでぼくには何重ものマイナスイメージがついており、そのため、頭の良いことを言っても「どうせバカが(変態が)言ってることなんだから……」というバイアスが働いてしまって相手にされないのだろうと思う。
ここで多くの人は、「都合よく考えすぎでしょ。バイアスがかかってるんじゃなくて本当にバカなだけなんじゃないの?」と思うだろう。
だが、おそらくそうではないという根拠がある。
冒頭で「『ほとんど』誰にも認められてこなかった」と言ったが、ぼくの思考力を認めてくれた数少ない人のことを考えてみると、ある共通点が見つかった。
ほとんどみんな、ぼくが賢そうに振る舞うコミュニティで出会った人たちなのだ。
たとえばアルバイト先の個別指導塾の生徒がそうだった。講師として働いている塾ではぼくは普段よりずっと真面目に大人っぽく振る舞うし、ボケることも少ない。そのため生徒には、「この人バカなんじゃないか?」というバイアスが働いていないのだ。
ぼくの能力は、ある時突然証明された。
2回目の授業の時、ぼくがとあるロジカルな話をしていたら、生徒がなんとこう言ったのだ。
「メモっていいですか?」
これはとてつもない衝撃だった。
それまで誰もぼくの言葉に価値を見出さなかったのに、その生徒は真剣に聴いてくれたどころか、カバンからわざわざノートを取り出してぼくの言葉をメモしてくれたのである。
振る舞い方や立場が違うだけで、言葉の捉えられ方というのはこんなにも違うものかと思った。
(ちなみに帰ってから母にこの話をしたら、「アンタなんかの話に感銘受けるなんて、その生徒おかしいんじゃないの?」と笑われた)
他にも、頭のいい人たちが集まるイベントで出会った人やレンタル話し相手の依頼人など、ぼくの普段のボケキャラや変態キャラを知らない人たちは大抵、驚くほど熱心にぼくの話を聴いてくれた。
これらの経験から、ぼくはこういう結論を導いた。
人は「『何を』言っているか」よりも「『誰が』言っているか」を遥かに重視する生き物なのだ
と。
バカなイメージがある人がどんなに頭の良いことを言っても相手にされないし、人気者がそれっぽいことを言えば、たとえそれがペラペラな言葉でも「深いですね!」となるということである。
(ちなみに「変態っぽさ」も、成功した人が出す分には「ギャップがステキ」となる)
理不尽極まりないし全くもって納得できないが、悔しいことにこれが現実らしい。
ならどうすればいいのか? 答えは1つだ。
偉くなればいいのである。
何でもいいから圧倒的な成功を収めて偉くなればいい。そうすれば、誰もぼくをナメなくなる。ぼくの言葉をちゃんと聴いてくれる。今まで軽くあしらわれてきた話と同じ話をしても、今度は重く受け止めてくれる。
今ぼくがやるべきことは語ることではない。とにかく成功することだ。自分の人生に勝つことだ。100の言葉ではなく1つの成果が人を黙らせる。
そう気づいたから、ぼくは喋ることをやめた。この2年近く、ぼくは家族にも友達にも自分の考えを語ることをやめ、ひたすら成功それのみを目指してきた。そしてとうとう、あと一歩でそれを掴めるところまできた。
ここからぼくは、成功の階段を爆速で駆け上がっていく。破竹の勢いで有名になっていく。
ぼくの頭の良さを分かっていなかった人は仰天するだろう。「なんであいつが!?何かの間違いじゃないのか!?」と。
しかし、何の間違いでもない。ぼくは実力で成り上がる。間違っていたのは自分たちの認識だったと、みんなどこかで気がつくことになるだろう。
その時はどうか、土下座でもしながら謝ってほしい。
「お見それしましたァ!あなたがバカだと思っていた我々がバカでしたァァ!!!」と。
ぼくはそれを笑って許そうと思う。
「いいんだよ。ただ、これに懲りたら、もう誰に対してもバイアスはかけないでほしい。誰が言うかに限らず、その言葉そのものを正しく評価できる人になってほしい。ぼくも全ての人に対してそうするよう心がけるから」
と。
マジでお願いします、土下座。そうしないとぼくのこれまでの怨念が浮かばれないので。本当に。