「我々が勝ち取りたいのは自由である」 戦う者たちの戯曲『僕たちの好きだった革命』

 

読んだだけで思わず革命をしたくなってしまうアツい戯曲、『僕たちの好きだった革命』を紹介したい。

 

出版社:晩成書房

著者:鴻上尚史

 

※ネタバレがあるのでそれでも良いという人だけ読んでほしい。

 

 

このクラスはどんなことを戦っているんだ?

 

現代の高校のとあるクラスで、担任の先生が新しいクラスメイトとして40代のおっさんである「山崎」を紹介する。

 

彼は30年前の学生運動で激しく活動していた最中、機動隊のガス銃に撃たれ、つい先日まで意識不明のまま眠っていたのだった。

 

復学早々、山崎はクラスメイトに向かってこんなセリフを連発する。

 

「このクラスは今、どんなことを戦っているんだ?」

「君はクラス委員なのに、世界に対する意見がないのか?」

「彼女は沈黙することで服装検査に抗議しているんだ。思想統制と表裏一体となった服装検査への抗議として、不服従を貫いているんだ!」

 

みんな「はあ?」となって誰も相手にしないのだが、ある時、山崎の言葉が響くことになる事件が起きる。

 

文化祭で山崎のいるクラスはとあるラップミュージシャンを呼ぶ予定だったのだが、そのミュージシャンの歌詞が問題でCDが発売禁止になっていることを知った学校側が、彼を文化祭に呼ぶことを禁止したのだ。

 

「自主的な文化祭を勝ち取ろう」という山崎の呼びかけに数人の生徒が応じたのをきっかけに、この学校での革命闘争が始まったのだった。

 

 

思考停止の教師と諦めない山崎

 

初めは小さい輪だったのがだんだん大きくなっていき、文化祭に加藤鷹を呼びたいという生徒が出てきたり、例のラップミュージシャンが駆けつけてくれたりし、ものすごい勢いで革命の熱が高まっていく。

 

教師達は必死に反対するのだが、説得力が微塵もない。

グラウンドで「第一回自主運営文化祭要求集会」をやっている時のシーンが特に滑稽である。

 

「お前ら全員退学だ!」

「どうしてグラウンドにいるだけで退学なんですか!」

「グラウンドにいるから退学なんだ!」

「意味分かんない!」

「人生に意味なんてないの!」

 

思わず「アホ過ぎるだろ」と呆れてしまうが、このレベルの無思考で生徒を縛っている教師は実際にたくさんいるだろう。

 

 

ある時ついに教師側は強硬な手段を取り、山崎たちを体育館に閉じ込めてしまう。

それでも諦めず革命の準備を進める山崎に、「どうしてそんなに頑張るの?」と仲間が問いかけるシーンが最高だ。

 

「どうして? 理解できない」

「きっといい未来になるって信じてるからさ」

「ほんとにいい未来になる?」

「(その質問に驚いたように)勝ち取るんだよ」

 

 

なぜ戦うのか

 

「たかが高校の文化祭のためにそこまでやらなくても」と思うかもしれない。だが山崎たちは、もっと大きなものの為に戦っているのだ。

 

あるとき山崎はこんなアジテーションをする。

 

「諸君! 我々が実現しようと思い、勝ち取ろうとしているのは、単なる文化祭ではない! それは我々の自由であり、未来である。一体我々は、不合理な現実をただ一度でも自らの手で変革し得たことがあったのか! 我々が真に問題とするのは文化祭の検閲制度だけではなく、我々にとって真の文化とは何かということなのだ!!」

 

 

いま話題になっている、生徒の髪色問題も同じだろう。

「髪を規制されるぐらい大したことないじゃん」と思う人もいるかもしれないが、問題は「茶髪を黒髪にさせられる」ことではなく、「無意味で理不尽な決まりを押し付けられる」ことなのだ。

そして大事なのはオシャレをすることではなく、自らの手で自由を勝ち取ることなのだ。

 

 

関心があるなら戦おう

 

この『僕たちの好きだった革命』を書いた鴻上尚史さんはTwitterで、今回の「無意味な校則問題」に猛烈に怒り、意見を発信している。あなたもこの問題に関心があるなら、臆さず声をあげてみよう。 

 

別に反対意見だっていい。山崎も「生徒のみんなも、機動隊員のみんなも、自分がいいと思うことを信じて欲しい」と言っている。

思考停止のまま自分の考えを信じるのは危険だが、本当にそれが「自分がいいと思うこと」なのであれば、諦めずに信じて堂々と主張すればいいのだ。

 

山崎はこうも言っている。

 

「試行錯誤を続けながら、人間はきっと進歩するんだ」

 

互いが信じることをぶつけ合うことで、本当の正しさがきっと見えてくる筈だ。

人の苦しみを共有せずにいられない男達の奮闘記 『囚人リク』

 

ほとんど誰もが、本当はまっすぐ生きたいと思っている。

だけどこの世界はあまりにも複雑で困難だから、次第に曲がることを覚え、捻くれたり腐ったりしてしまうのだ。

そんなのしょうがないじゃないかと思う部分もあるんだけど、それでもこの作品を読めば、「もう少しまっすぐに生きてみたいな」という気になってくるかもしれない。

 

そんなパワーを持った激アツ漫画、『囚人リク』を紹介しよう。

 

 

概要 

 

・連載雑誌:週刊少年チャンピオン

・巻数:全38巻(完結済)

・作者:瀬口忍先生

 

<ひとことで言うとこんな話>

無実の罪で刑務所に入れられた少年リクがそのまっすぐな人柄で囚人を次々と味方につけ、脱獄不可能と言われた刑務所を脱獄する話

 

<性質>

熱い,ストレート,心理描写や演出が巧み,絵が上手い,暴力描写がやや激しい,色気ほぼナシ,なるほど感がすごい,少年漫画と青年漫画の間

 

<こんな人にオススメ>

くじけそうな人,利他心の強い人,いつか脱獄してみたい人(男なら誰でも1度は脱獄したいと夢見たことがある筈だ。ちなみにぼくは友達にその夢を話したら引かれた)

 

 

最初からめちゃアツい

 

13歳の少年リクは孤児として逞しく生きていたが、ある日、育ての親であり精神的支柱でもあった「おじさん」が極悪人に殺されてしまう。

 

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その殺人の罪を着せられたリクは懲役30年の判決を受けて脱獄不可能と言われる刑務所にぶち込まれるのだが、そこは秩序の崩壊した地獄のような場所だった。リクは入所早々、殴られたり蹴られたりヤスリで指を削られたりと散々な目に遭わされてしまう。

 

しかしそれでも、リクは持ち前のまっすぐな気持ちを捨てなかった。自分を虐めた弱い囚人を強い囚人の暴力から庇い、その強い囚人を看守の暴力から庇うのだ。

 

そして、この歪みまくった世界では絶対に誰も口にしないであろうドストレートな言葉をぶつける。

 

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これによって「強い囚人」はリクを少し認めるものの、「正々堂々タイマンで潰してやるぜ」と言ってやっぱりボコボコにする

 

しかし、どんなにボロボロになってもリクは立ち上がる。大好きだったおじさんの言葉を強烈に信じているからだ。

 

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もはや妄執と言える域である。


 

この度を超えた意地がついに通り、リクは多くの囚人に認められる様になるのだ。

 

リクのこの、過剰とも言えるほどのまっすぐさが本当に気持ちいい。普通だったらつい曲げてしまう様なことを、地獄のような場所でも1ミリも曲げずに通す姿に強く胸を打たれてしまう。

 

 

人の苦しみを共有するということ

 

今話した要素だけでも本当に素晴らしいのだけど、この漫画の最も凄い部分は実は別のところにあるとぼくは思っている。

 

それは、「登場人物がやたらと人の苦しみを共有しようとするところ」だ。

 

どういうことか? 1つシーンを挙げよう。

 

ある日、とある凶暴囚人に襲われてリクのチームのメンバーが全員ボコボコにされてしまう。仲間の敵討ちのためにその凶暴囚人に戦いを挑んだリクだったが、一瞬で返り討ちに遭い、右腕の骨を折られた挙句に倒れてしまった。

 

するとそれまで伸びていた仲間が立ち上がり、突然自分の腕を柱にぶつけ始めるのだ。

 

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なんと、右腕を折られたリクを応援するために自分の腕を折ろうとしていたのである。

 

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これは本当に珠玉の名シーンだと思う。

 

ここで描かれているのは、暴力と基本的に無縁なぼくたちにも通ずるテーマだ。

親しい人が辛い目に遭っていると多くの人が力になろうとするが、そのとき両者の間には大抵の場合、「辛い目に遭っている者と遭っていない者」という格差が生じてしまっている。

 

その格差を縮めるためにぼくたちは「想像する」という行為で相手の苦しみを心の中で共有しようとするのだけど、想像力にはどうしても限界がある。

 

だから力になってもらっている側は「ありがとう」と言いながら、心のどこかでこう思ってしまうのだ。

 

「お前はいいよな、この苦しみとは無縁なんだから。どれだけ親身になったって自分の本当の辛さは分からないよ」

 

と。

 

捻くれていると思うかもしれないが、人間である以上、こうした思いを完全に無くすことはできないだろう。

 

「力になる側」の多くはその感情について理解しているが、だからと言ってどうすることもできないではないか。視覚障害者の気持ちを理解するために、自分の目を潰すわけにはいかない

心の中で寄り添うことはできても、実際に身を切ることはできないのだ。

 

だがこの漫画の登場人物は違った。心でだけでなく、体でも苦しみを共有せずにはいられなかったのだ。相手と同じ立場に身を置かずに応援することを、自分自身に許すことができなかったのだ。

 

こういう描写を、ぼくはこの漫画で初めて見た。

一生懸命人助けをするキャラクターは他の漫画にもたくさんいるが、相手と同じ苦しみを共有するために自らを傷つけるキャラクターはまずいないだろう。

1人いるだけでも凄いのに、こんな「どアホゥ」がこの漫画にはたくさん出てくる。そこが、ぼくが『囚人リク』を別格の漫画だと思う所以なのだ。

 

(ちなみに「粉骨砕身した友を〜」のコマでリクが右目に包帯を巻いているのが分かると思うが、これは実は怪我をしているわけではない。戦っているうちに凶暴囚人の右目が義眼であることが分かったので、右目が見えないという気持ちを味わうため、相手と同じ条件で戦うために自ら包帯を巻いたのだ。

それも、すでに半殺しにされていたのにである。

リク……お前はどこまで自分の正義に妥協しないんだよ……!!)

 

 

“革命の闘士”田中一郎

 

この「相手の苦しみを共有する」ということを最も激しくやっている男を紹介したい。同じ刑務所に収監されている傷だらけの囚人、田中一郎だ。

 

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ところで筋肉の描き方がめっちゃ上手い。惚れ惚れする。


彼は“革命の闘士”として国に抗った罪で刑務所に入れられてしまったのだが、元々は裕福な家庭に生まれた、革命とは無縁の青年だった

 

勉学に励んで弁護士資格を取り、弁護士として弱者のために活動していたある日、大規模な天災が起きて東京が壊滅してしまう。

 

全ての人々を救う余裕はないと判断した政府はなんと、貧しい者を切り捨てる政策を取ることに決める。壊滅した区域と外の区域との間に壁を作り、一定以上の収入がある者にだけ壁の外に出ることを許可し、その他の者は永遠に閉じ込めておくことにしたのだ。

 

その収入条件を満たしている田中家はみんなニコニコしながら通用門まで歩いていくのだが、残された人々のことが気になる一郎は、すぐ戻ると家族に約束して引き返してしまう。

 

そして、弁護士としてよく力になっていたおばあさんのところに向かい、こう言葉を言い残す。

 

「私は今日、壁の外へ出ます。ですが壁の外からであろうと私は必ず、法という武器でこの惨状を救うべく戦います」

 

すると、そのおばあさんにこう言われるのだ。

 

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この言葉が、田中の胸の中で何度も響く。

 

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全て分かっている。それでも……

 

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家族や恋人は、悪い人たちではなかった。

貧しい人々に同情や関心を寄せることこそしなかったが、人並みの愛情を持った優しい人々だった。彼らと共に生きていくという、ごく当たり前の選択を責める人など誰もいない。身近にいる大切な人を守りながら、同時に遠くの貧しい人を助ける努力をすればいいではないか。

 

だが、田中にはどうしてもそれができなかった。自分だけが苦しみと無縁の場所にいるという安息に耐えられなかったのだ。

 

恋人からプレゼントされた高級腕時計を引きちぎり、すぐ戻るという家族との約束を破り、田中は革命の戦士となることを決意する。

 

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この並外れた正義感と類稀なる感性を持つ田中には、実はもう1つとてつもないエピソードがある。全身についている傷のことだ。

 

あれらは実は、革命の戦いでできた傷ではない。守れなかった命を忘れないために、自分で刻み込んだ傷なのだ

 

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ここまで人の痛みを引き受けられる人がいるだろうか? これほど人のことを思える人がいるだろうか?

 

世の中にも身の回りにも、とても想像が及ばないほど悲惨な目に遭っている人が大勢いる。にもかかわらずぼくたちが平気でいられるのは、結局、自分と他人との間に明確な線を引いているからだろう。

同情はするし力も貸すが、究極的には自分と他人は関係ないと思えるから、よほど大切な人でない限り、他人がどれだけ不幸になっても自分まで傷つくことはないのだ。

 

そう、今「よほど大切な人でない限り」と言ったように、本当に大切な人が辛い目に遭っていたら、ぼくたちだって自分ごとのように痛みを感じることはある。

 

だが田中は、家族や恋人ほど親しいわけではない他人の痛みまで自分の痛みのように感じている。そこが普通の人と一線を画している点なのだ。

そして、相手の痛みを実際に自分の身に引き受けるという尋常ならざる勇気に、思わず感嘆してしまうのだ。


ぼくは、田中一郎が大好きだ。

 

 

完全に苦しみを共有する必要はない

 

漫画の紹介なのに持論を持ち出して申し訳ないが、これだけ「苦しみを共有すること」を絶賛していると、「そうしなきゃダメなわけ?」と思う人がいるかもしれないので補足させて欲しい。

作者の考えではなくあくまでぼくの考えだから参考程度に聞いて欲しいのだが、ぼくは、「完全に」苦しみを共有する必要はないと思う。

 

想像することで「心の中で」苦しみを共有することは大事だと思うけど、体に傷をつけたり社会的地位を捨てたりするのは、流石にしなくていいだろう。先ほどの例になるが、視覚障害者を助けるために自分の目を潰す必要はないのだ。

 

だが、どうしても辛い目に遭っている人の気持ちを分かりたいとか、相手の苦しみを引き受けなければ逆に自分の心が辛いとか感じる人は、一体どうすればいいのか?

 

じっくり考えてみたのだけど、「相手と同じ立場を『期間限定で』体験する」というのがいいのではないかと思った。つまり、リクのように目に包帯を巻いてみればいいのだ。

 

(もちろん期間限定でも体験できない苦しみもたくさんあるが、それは想像力を目一杯駆使するしかない)

 

短期間では相手が受けてきた苦しみのほんの一部しか引き受けることはできないが、それでも少しも体験しないよりかは随分多くのことが分かる筈だ。 

これが、現実的に他人に歩み寄れるギリギリのラインだろうと思う。

 

これは何も、苦しみを共有することに「無理があるから」という理由だけではない。田中自身も理解していたように、相手と同じ立場に立ち過ぎれば「逆に人助けが難しくなるから」という理由もある。田中は殺されても、一生刑務所暮らしでも全くおかしくなかったのだ。

 

「そうせずにはいられなかったから」田中は「向こう側」にいるという道を捨てたが、人を助けるには、やはりまず自分自身を大切にすることが大事なんじゃないだろうか。

 

自分のことを大切にしながら、できる範囲で人に歩み寄ればいいのだとぼくは思う。

 

 

どうか読んで欲しい

 

本当は巧みな心理描写やアッと驚くような脱獄ノウハウについても書きたいし、まだまだ素晴らしいシーンがたくさんあるのだけど、もうかなりの長文になってしまったので紹介はここまでにしようと思う。

 

『囚人リク』のamazonのリンクはこちらだ。

 

https://www.amazon.co.jp/囚人リク(1)-少年チャンピオン・コミックス-瀬口忍-ebook/dp/B00FJ2CD18

 

ここまでこのブログを読んでくれた人は是非読んでみてほしい。

思わず背筋を正してしまうような、強烈な読書体験ができる筈だ。

このブログで物語の紹介をしていきます!

 

ぼくはこれまで、物語に何度も人生を救われてきました。

 

大きな例を挙げると、4ヶ月続いた悩みから解放されたり、大学中退を思い止まったり、人生の目標が決まったりしたんですよね。

 

「たかがフィクションに影響を受け過ぎだろ」って思う人もいると思うんですけど、ぼくにとって物語は夢の世界へ逃避するための空想なんかじゃなくて、現実を生きるための指針なんです。

だから困った時や辛い時に役立つ様に、たくさんのセリフを空で言えるように暗記していますし、心の中には無数のキャラクターを宿しています。

 

架空の話ですからもちろん、「現実はこんな風にいかないよ」と思うことはあるんですけど、その架空の話は現実に生きている人間が懸命に「願い」を込めて創ったものである筈じゃないですか。だからぼくはその願いを真摯に受け止めたいし、大真面目に現実に活かしたいんです。

 

まあ、普通はもっと気楽に楽しめばいいと思うのでぼくのその姿勢を押し付けるつもりは全然ないんですけど、単純に感動を誰かと共有したいので、このブログではぼくの大好きな物語の紹介もしていこうと思っています!

 

作者の願いが、少しでも多くの人に届きますように!

【相談】どうやって仕事を選べばいいか分かりません→「自分はどんなストレスに弱いか」という観点から考えてみるといいと思います。

 

24歳女性の理沙さん(仮名,東京住み)からの相談です。

  

ー栄養管理士の仕事をしていたのですが、訳あって転職することになりました。

大学では栄養管理士の勉強をしていただけで就職活動を一切していなかったので、どうすればいいか全然分かりません。アドバイスをお願いします。

 

最初の依頼なのですごく嬉しいです〜! それではまず、ぼくの考える「仕事選びの基準」についてお話しますね。

仕事っていうのは何を選んでも何かしらのストレスと付き合っていかなければいけないものなので、

「自分はどのストレスに弱いか」

という観点から考えてみるといいと思います。

たとえば、「お金がない」というストレスには強いけど「人から怒られる」というストレスには弱い人は、クレーム処理の仕事に就くと、どんなに給料が良くても辛い思いをするということです。

理沙さんはどのストレスに弱いのでしょうか?

 

そうですね〜。私は

「やりがいの感じられないことをする」

というストレスに弱いと思います。

 

分かりました。だったら、ご自分が熱中できそうな仕事を探してみましょう! どんなことに興味がありますか?

 

うーん、それが分からないんです……。そもそも世の中にどんな仕事があるのかを全然知らないので……。

 

そうなんですね。じゃあ、まずは「知る」ことから始めてみましょう。ネットで色々検索してみるのはもちろん、本屋や図書館で本をたくさん読んでみることをオススメします!

世の中には、「ただ知るだけ」で解決する悩みがすごくたくさんあります。本気で悩んでいるなら、面倒でもまずは十分な知識を得ることが大切だと思います。

 

分かりました。色々と勉強をしてみます。
他には何をしたらいいでしょうか?

 

人と話をしてみるといいと思います! 就活のイベントに行って、自分の興味のありそうな職業に就いてる人から仕事の話を聞いたり、相談したりしてみてください。

 

え、そんなイベントがあるんですか?

 

地方はどうか分かりませんが、東京にはいっぱいありますよ! ネットで調べてみてください。

「人と話すこと」には

「リアルな話が聞ける」
「双方向的なやり取りができる」

など、本やネットにはないメリットがあります。

ただ、知識が無い状態でそればかりすると人の話に影響を受けすぎて振り回されてしまう危険があるので、

「知識を得ること」

「人と話をすること」

の2つをバランスよく行うことが大事だと思います!

 

分かりました。なんだか八方塞がり感から抜け出せた気がします!
ありがとうございました!

 

電話で1時間半ぐらい、時々笑いを交えながら気持ちよく会話のキャッチボールができて、最初の依頼なのに最高にいい感じでした!

 

 

※「仕事選びは『自分はどんなストレスに弱いか』という観点から考えるといい」という考え方は、眞蔵修平さんという漫画家の方のブログ記事から学んだものです。

「やりたいことを仕事にすべき」は本当か。 | shuheimakura

興味のある方はぜひご覧ください!

 

1人目の話し相手から「資格が無いなら相談に乗るな」と批判されたので全力で答えたら未読無視された話

 

レンタル話し相手の活動を初めて4日目、早くもぼくのLINEを追加して連絡してくれる人が現れたんですよ。

 

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「依頼来たー!!」って超喜んだんですけど、すぐに

 

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「冷やかしかよ!」と叫ぶことになりました。

 

でも話を聞いてみると、この方(アオイさん:仮名,30代女性)はからかい半分にぼくを冷やかしに来たんじゃなくて、この活動のリスクを想定し、正義感からぼくを止めようとしているのだということが分かったんですよね。

 

それでお互いバチバチに持論をぶつけ合うという、初っ端から最高に有意義で面白いやり取りができたので、お話します!

 

 

雑談や愚痴聞きだけならまだしも、人の相談に乗るというのはすごく難しいことですよね
何の資格も無いあなたにできるんですか?

 

ぼくはこれまで人の相談に乗らせてもらって役立てた実感を得る経験を何度かしているので、できると思います。
相談に乗るにあたって資格は特に必要ないとぼくは思っています。

 

そうでしょうか?

相談に乗る能力があるかどうか他者が判断しやすいために資格は必要だと思います。本当に苦しい思いをしている人があなたに辿りつき藁をもすがる思いで話しかけた時、あなたがしっかり話を聴かなかったり不適切な言動をしてしまったりしたらどうなりますか? 
その人をもっと傷つけることになるんですよ。

悩んでいる人の気持ちを何だと思っているんですか?

  

いや〜、素晴らしい批判ですね!!!!

いや、嫌味とかじゃなくて本当に。ぼくもずっと前から全く同じことを考えてたんですよ。

 

「相談に乗る」という行為にはいくつか原則があって、たとえば

 

・傾聴する

・共感する

・決めつけない

・アドバイスに反論されても怒らない

 

こういうことが基本的にできていなければならないと思うんですけど、「なんで???」って思わずビックリしてしまうぐらいできない人、めちゃくちゃ多いじゃないですか。

 

そしてそういう人に相談をしてしまうと、「せっかく心を開いて相談したのになんでこんな思いをしなきゃいけないの!?」って裏切られた気持ちになってしまうんですよね。

特に心に多くの傷を持つ人の場合そのダメージはより大きなものになり、深刻な人間不信に陥ってしまう恐れがあります。

 

だから、能力のない人は相談に乗るべきではないんです。

役に立たないどころか、悪影響を与えてしまう危険性がありますから。

 

ぼくは何年も前からこう考えていたので、アオイさんの言うことは本当によく分かるんです。 

 

……ということをアオイさんにもお話してから、「それでもぼくが相談に乗ろうとしている理由を今から説明しますので少々お待ち頂けますか?」と伝えたところ、こう返ってきました。

 

 

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いや厳しいな!!

ちょっと落ち着こうよ〜。ぼくの言葉が軽いとか人生ちゃんと生きてないとか判断するのが早すぎるよ〜。

 

と思いながらも粘ってもう1度「説明させて頂けないでしょうか?」と訊いたら、一応「がんばえー」と言ってもらえたので、以下の文章を送りました!

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

ぼくは「相談に乗る人には『能力』が必要だ」と考えていますが、『資格』が必要だとは思いません。何故なら、相談という「心」が問題になる分野においては、資格は形骸的な意味しか持たない場合が多いと思うからです。

 

ぼく自身、学校の先生や心療内科の先生など、正式な資格を持っているにもかかわらず能力が足りないと感じる人に多く出会ってきました。

 

そういうことが起こる理由には、心理的な資格には

 

・実技試験がない場合があるから

・実技試験があってもその基準が曖昧だから

 

という2つの理由があるのではないかなと想像していますが、理由はどうあれ、他の人からも「カウンセラーに相談したら頭ごなしに否定された」というような話はよく耳にするので、これはぼくだけの見解ではないと考えて良いと思います。

 

そして一方で、資格を持っていなくても相談に乗る能力が高い人は世の中にたくさんいると思うんです。

 

ぼくはそういう人を何人か知っていますし、あなたの周りにも何人かいるのではありませんか?

 

どうしてそういう人がいるかというと、「心」に関する能力というのは、机上の勉強よりも生身の人間との絶え間ないやりとりの中で身につく要素の方が遥かに多いからだと思うんです。

  

以上の理由からぼくは資格が無い人でも相談に乗って良いと思っていますが、あくまでも「資格は」必要ないというだけで、「他者に判断してもらう基準」は必要であると考えています。何故ならそれが無ければ相談を検討している人に不安やリスクを与えてしまうからです。

 

ぼくにとっての「基準」は、Twitterでの発信です。

 

ぼくはこれからTwitterで、

 

・自分の情報

・レンタル話し相手として人と会話した内容

・自分の考え

 

などをマメに発信していきます。

 

その投稿内容を見ていけばきっと、ぼくの能力や人柄や考え方などがよく分かるでしょう。

そしてその情報は、「◯◯心理カウンセラーの資格を保有しています」という一文よりもずっと実質的で、確かな信用の基準になると思うのです。

 

ぼくの発信を見て「この人には相談に乗る能力がありそうだな」とか「自分に合いそうだな」とか感じたら相談してくれればいいし、そう感じなかったら相談しなければいい。

 

このやり方であれば、「相談に乗った結果人を傷つけてしまう」というリスクはかなり少なくなるのではないでしょうか(もちろん0にはできませんが)。

 

誰かにマイナスの影響を与えてしまうリスクがあることを承知の上で、細心の注意を払いつつ、ぼくは全力でこの活動に臨みます。

 

ぼくの考えは以上ですが、いかがでしょうか?

 長文失礼いたしました。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

アオイさんの指摘に不足なく答えられたと思ったので返信を楽しみにしていたんですけど、タイトル通り、この返信は未読無視されてしまいました。残念!

 

でも、このテーマに関するぼくの考えは活動の初期段階できちんと説明しておきたかったので、最初の話し相手の方とこういう話ができたのはとてもラッキーだったなと思います。

 

このテーマに関するご意見やご質問などがありましたら、どんな方法でも良いので遠慮なく言ってください。ぼくへの指摘や批判でも全然大丈夫です!

 

それでは!