人の苦しみを共有せずにいられない男達の奮闘記 『囚人リク』
ほとんど誰もが、本当はまっすぐ生きたいと思っている。
だけどこの世界はあまりにも複雑で困難だから、次第に曲がることを覚え、捻くれたり腐ったりしてしまうのだ。
そんなのしょうがないじゃないかと思う部分もあるんだけど、それでもこの作品を読めば、「もう少しまっすぐに生きてみたいな」という気になってくるかもしれない。
そんなパワーを持った激アツ漫画、『囚人リク』を紹介しよう。
概要
・連載雑誌:週刊少年チャンピオン
・巻数:全38巻(完結済)
・作者:瀬口忍先生
<ひとことで言うとこんな話>
無実の罪で刑務所に入れられた少年リクがそのまっすぐな人柄で囚人を次々と味方につけ、脱獄不可能と言われた刑務所を脱獄する話
<性質>
熱い,ストレート,心理描写や演出が巧み,絵が上手い,暴力描写がやや激しい,色気ほぼナシ,なるほど感がすごい,少年漫画と青年漫画の間
<こんな人にオススメ>
くじけそうな人,利他心の強い人,いつか脱獄してみたい人(男なら誰でも1度は脱獄したいと夢見たことがある筈だ。ちなみにぼくは友達にその夢を話したら引かれた)
最初からめちゃアツい
13歳の少年リクは孤児として逞しく生きていたが、ある日、育ての親であり精神的支柱でもあった「おじさん」が極悪人に殺されてしまう。
その殺人の罪を着せられたリクは懲役30年の判決を受けて脱獄不可能と言われる刑務所にぶち込まれるのだが、そこは秩序の崩壊した地獄のような場所だった。リクは入所早々、殴られたり蹴られたりヤスリで指を削られたりと散々な目に遭わされてしまう。
しかしそれでも、リクは持ち前のまっすぐな気持ちを捨てなかった。自分を虐めた弱い囚人を強い囚人の暴力から庇い、その強い囚人を看守の暴力から庇うのだ。
そして、この歪みまくった世界では絶対に誰も口にしないであろうドストレートな言葉をぶつける。
これによって「強い囚人」はリクを少し認めるものの、「正々堂々タイマンで潰してやるぜ」と言ってやっぱりボコボコにする。
しかし、どんなにボロボロになってもリクは立ち上がる。大好きだったおじさんの言葉を強烈に信じているからだ。
この度を超えた意地がついに通り、リクは多くの囚人に認められる様になるのだ。
リクのこの、過剰とも言えるほどのまっすぐさが本当に気持ちいい。普通だったらつい曲げてしまう様なことを、地獄のような場所でも1ミリも曲げずに通す姿に強く胸を打たれてしまう。
人の苦しみを共有するということ
今話した要素だけでも本当に素晴らしいのだけど、この漫画の最も凄い部分は実は別のところにあるとぼくは思っている。
それは、「登場人物がやたらと人の苦しみを共有しようとするところ」だ。
どういうことか? 1つシーンを挙げよう。
ある日、とある凶暴囚人に襲われてリクのチームのメンバーが全員ボコボコにされてしまう。仲間の敵討ちのためにその凶暴囚人に戦いを挑んだリクだったが、一瞬で返り討ちに遭い、右腕の骨を折られた挙句に倒れてしまった。
するとそれまで伸びていた仲間が立ち上がり、突然自分の腕を柱にぶつけ始めるのだ。
なんと、右腕を折られたリクを応援するために自分の腕を折ろうとしていたのである。
これは本当に珠玉の名シーンだと思う。
ここで描かれているのは、暴力と基本的に無縁なぼくたちにも通ずるテーマだ。
親しい人が辛い目に遭っていると多くの人が力になろうとするが、そのとき両者の間には大抵の場合、「辛い目に遭っている者と遭っていない者」という格差が生じてしまっている。
その格差を縮めるためにぼくたちは「想像する」という行為で相手の苦しみを心の中で共有しようとするのだけど、想像力にはどうしても限界がある。
だから力になってもらっている側は「ありがとう」と言いながら、心のどこかでこう思ってしまうのだ。
「お前はいいよな、この苦しみとは無縁なんだから。どれだけ親身になったって自分の本当の辛さは分からないよ」
と。
捻くれていると思うかもしれないが、人間である以上、こうした思いを完全に無くすことはできないだろう。
「力になる側」の多くはその感情について理解しているが、だからと言ってどうすることもできないではないか。視覚障害者の気持ちを理解するために、自分の目を潰すわけにはいかない。
心の中で寄り添うことはできても、実際に身を切ることはできないのだ。
だがこの漫画の登場人物は違った。心でだけでなく、体でも苦しみを共有せずにはいられなかったのだ。相手と同じ立場に身を置かずに応援することを、自分自身に許すことができなかったのだ。
こういう描写を、ぼくはこの漫画で初めて見た。
一生懸命人助けをするキャラクターは他の漫画にもたくさんいるが、相手と同じ苦しみを共有するために自らを傷つけるキャラクターはまずいないだろう。
1人いるだけでも凄いのに、こんな「どアホゥ」がこの漫画にはたくさん出てくる。そこが、ぼくが『囚人リク』を別格の漫画だと思う所以なのだ。
(ちなみに「粉骨砕身した友を〜」のコマでリクが右目に包帯を巻いているのが分かると思うが、これは実は怪我をしているわけではない。戦っているうちに凶暴囚人の右目が義眼であることが分かったので、右目が見えないという気持ちを味わうため、相手と同じ条件で戦うために自ら包帯を巻いたのだ。
それも、すでに半殺しにされていたのにである。
リク……お前はどこまで自分の正義に妥協しないんだよ……!!)
“革命の闘士”田中一郎
この「相手の苦しみを共有する」ということを最も激しくやっている男を紹介したい。同じ刑務所に収監されている傷だらけの囚人、田中一郎だ。
彼は“革命の闘士”として国に抗った罪で刑務所に入れられてしまったのだが、元々は裕福な家庭に生まれた、革命とは無縁の青年だった。
勉学に励んで弁護士資格を取り、弁護士として弱者のために活動していたある日、大規模な天災が起きて東京が壊滅してしまう。
全ての人々を救う余裕はないと判断した政府はなんと、貧しい者を切り捨てる政策を取ることに決める。壊滅した区域と外の区域との間に壁を作り、一定以上の収入がある者にだけ壁の外に出ることを許可し、その他の者は永遠に閉じ込めておくことにしたのだ。
その収入条件を満たしている田中家はみんなニコニコしながら通用門まで歩いていくのだが、残された人々のことが気になる一郎は、すぐ戻ると家族に約束して引き返してしまう。
そして、弁護士としてよく力になっていたおばあさんのところに向かい、こう言葉を言い残す。
「私は今日、壁の外へ出ます。ですが壁の外からであろうと私は必ず、法という武器でこの惨状を救うべく戦います」
すると、そのおばあさんにこう言われるのだ。
この言葉が、田中の胸の中で何度も響く。
全て分かっている。それでも……
家族や恋人は、悪い人たちではなかった。
貧しい人々に同情や関心を寄せることこそしなかったが、人並みの愛情を持った優しい人々だった。彼らと共に生きていくという、ごく当たり前の選択を責める人など誰もいない。身近にいる大切な人を守りながら、同時に遠くの貧しい人を助ける努力をすればいいではないか。
だが、田中にはどうしてもそれができなかった。自分だけが苦しみと無縁の場所にいるという安息に耐えられなかったのだ。
恋人からプレゼントされた高級腕時計を引きちぎり、すぐ戻るという家族との約束を破り、田中は革命の戦士となることを決意する。
この並外れた正義感と類稀なる感性を持つ田中には、実はもう1つとてつもないエピソードがある。全身についている傷のことだ。
あれらは実は、革命の戦いでできた傷ではない。守れなかった命を忘れないために、自分で刻み込んだ傷なのだ。
ここまで人の痛みを引き受けられる人がいるだろうか? これほど人のことを思える人がいるだろうか?
世の中にも身の回りにも、とても想像が及ばないほど悲惨な目に遭っている人が大勢いる。にもかかわらずぼくたちが平気でいられるのは、結局、自分と他人との間に明確な線を引いているからだろう。
同情はするし力も貸すが、究極的には自分と他人は関係ないと思えるから、よほど大切な人でない限り、他人がどれだけ不幸になっても自分まで傷つくことはないのだ。
そう、今「よほど大切な人でない限り」と言ったように、本当に大切な人が辛い目に遭っていたら、ぼくたちだって自分ごとのように痛みを感じることはある。
だが田中は、家族や恋人ほど親しいわけではない他人の痛みまで自分の痛みのように感じている。そこが普通の人と一線を画している点なのだ。
そして、相手の痛みを実際に自分の身に引き受けるという尋常ならざる勇気に、思わず感嘆してしまうのだ。
ぼくは、田中一郎が大好きだ。
完全に苦しみを共有する必要はない
漫画の紹介なのに持論を持ち出して申し訳ないが、これだけ「苦しみを共有すること」を絶賛していると、「そうしなきゃダメなわけ?」と思う人がいるかもしれないので補足させて欲しい。
作者の考えではなくあくまでぼくの考えだから参考程度に聞いて欲しいのだが、ぼくは、「完全に」苦しみを共有する必要はないと思う。
想像することで「心の中で」苦しみを共有することは大事だと思うけど、体に傷をつけたり社会的地位を捨てたりするのは、流石にしなくていいだろう。先ほどの例になるが、視覚障害者を助けるために自分の目を潰す必要はないのだ。
だが、どうしても辛い目に遭っている人の気持ちを分かりたいとか、相手の苦しみを引き受けなければ逆に自分の心が辛いとか感じる人は、一体どうすればいいのか?
じっくり考えてみたのだけど、「相手と同じ立場を『期間限定で』体験する」というのがいいのではないかと思った。つまり、リクのように目に包帯を巻いてみればいいのだ。
(もちろん期間限定でも体験できない苦しみもたくさんあるが、それは想像力を目一杯駆使するしかない)
短期間では相手が受けてきた苦しみのほんの一部しか引き受けることはできないが、それでも少しも体験しないよりかは随分多くのことが分かる筈だ。
これが、現実的に他人に歩み寄れるギリギリのラインだろうと思う。
これは何も、苦しみを共有することに「無理があるから」という理由だけではない。田中自身も理解していたように、相手と同じ立場に立ち過ぎれば「逆に人助けが難しくなるから」という理由もある。田中は殺されても、一生刑務所暮らしでも全くおかしくなかったのだ。
「そうせずにはいられなかったから」田中は「向こう側」にいるという道を捨てたが、人を助けるには、やはりまず自分自身を大切にすることが大事なんじゃないだろうか。
自分のことを大切にしながら、できる範囲で人に歩み寄ればいいのだとぼくは思う。
どうか読んで欲しい
本当は巧みな心理描写やアッと驚くような脱獄ノウハウについても書きたいし、まだまだ素晴らしいシーンがたくさんあるのだけど、もうかなりの長文になってしまったので紹介はここまでにしようと思う。
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ここまでこのブログを読んでくれた人は是非読んでみてほしい。
思わず背筋を正してしまうような、強烈な読書体験ができる筈だ。