大学を辞めることをやめることにした話

 

 

「なんと言われようとぼくは大学を辞めます。だから来月から、ここでぼくを雇ってください」

 

頭の先からつま先まで一分の隙もなく感じている震えを必死に抑えながら、ぼくは力強くそう言った。

目の前にはぼくを鋭く睨むNPOの代表が、その横には泣きそうになりながら議事録を取る秘書が、そしてぼくの横には大泣きしている母がいた。地獄だった。



明治大学政治経済学部に入学して1週間も経たない内に、ぼくはこの大学を中退しようと決めた。あまりにも授業がお粗末過ぎたからである。

 

どの授業も、遅いテンポで要領を得ずダラダラと一方的に教授が喋り続けるのだ。活字にして要点をまとめれば10分で学べることをなぜ90分もかけて聴かなければならないのか、ぼくには全く分からなかった。

 

なぜこんなにも教授のレベルが低いのか。高校までだって授業が下手な先生はいたが、その中で1番下手だった先生よりも下手な教授がほとんどなのだ。

というかまずやる気がない。生徒の目を見ない、出欠を取らない、毎回10分近く遅れてくる(こちらは1コマあたりいくらの授業料を払っていると思っているのだ。訴えられたって文句は言えないと思う)、などなど、本当に酷い先生ばかりだった。

 

私立大学の授業の実態を知ったぼくはとてつもないショックを受け、仲良くなったあるクラスメイトに不満をぶつけた。

 

「なんでどの授業もこんなに酷いわけ!? 教授のレベル低すぎるだろ!」

 

すると、その友達は涼しい顔でこう言ったのである。

 

「しょうがないよ。教授の主な仕事は研究することであって、教えるのは専門じゃないんだから」

 

意味が分からなかった。なぜそんな人が教鞭を執れる仕組みに日本の大学がなっているのか、そしてなぜその事をこいつは平然と受け入れられているのか。

 

教育は、人と社会を劇的に良くする素晴らしいものである。

高校までの授業で教えられる内容が実生活にほとんど役に立たないものであったのは、大学受験という制度がある以上、仕方がないと思っていた。

でも受験が終わって大学に入った後は、実生活に役に立つ勉強が思い切りできるのだと思っていた。日本教育の真価は大学にこそあるのだと。

 

そう信じて一浪してまで頑張って受験勉強をしたのに、やっと辿り着いた桃源郷がこれかよと思った。ふざけんなと。

国の偉い人たちは、大学がこのクソ低いレベルの授業を垂れ流してるせいでどれだけの損失が生まれているか分かっているのか。「知らない」がためにこの先不幸な目に遭う人がごまんと出るんだぞ。これから国や世界を背負って立つ若く自由な力を無駄にしているんだぞ。

 

そしてそんな仕組みを仕方ないと受け入れているお前はなんなんだ。特別に意識高くなれとは言わないけど、流石にこの惨状には疑問と不満を持てよ。バカなのか。

だが、その友達が特別にバカなわけではなかった。ぼくはそれから同じことを何人ものクラスメイトに言ってみたが、みんな同じ反応だったのだ。全員バカだと思った。

 

そういうわけで、ぼくは入学したその週にはもう中退する決意を固めたのである。

 

さて、この記事を読んでいるあなたはきっと今、こう思っただろう。

 

「確かに大学側にも問題があるのかもしれないけどさ、だからって辞めるのは違うんじゃないの? どんなに質の低い授業からだって学べることはあるでしょ。自分が今いる環境から何か1つでも学び取ろうとする姿勢が大事なんだって。環境が悪いとか言って逃げるような人は、どんなに優れた環境に行ったって何も学べないよ。一生不満言って逃げ続けるのがオチだよ」

 

もう耳タコになった意見だ。色々な人からマジで20回ぐらい聞いたが、この考えは間違っているとぼくは思う。

 

そりゃ、質の低い授業からだって学べることはあるだろう。授業に限らず体験には、それがどんなものであれ学びになる部分は必ずある。

だが、だからと言ってその体験をし続けるのが最善な訳がない。なぜなら、同じ時間を使って別の体験をすればもっと大きな学びが得られるからだ。

 

仮に、ある質の低い授業を90分受けて得られる学びが10だとしよう。だが、その90分を使って例えば本を読めば50とか100とかの学びが得られるではないか。大学なんて基本的に放任主義で内職し放題なのだから。なぜそういう発想にならないのか、ぼくには本当に分からない。

 

質の低い授業から学べることがあるのは分かっていたし、質が低くない授業も少しはあった。だがどんな授業も、自分で学ぶスピードには到底敵わないと思った。

ぼくは勉強するために大学に入ったのだ。世界平和を実現する男がこんなところで4年間も時間を浪費するわけにはいかない。だからぼくは、逃げたいという気持ちからではなく合理的な考えから、大学を中退することに決めた。




とは言え、流石にすぐ辞めるわけにはいかない。ぼくの夢までへの道は無数にあるが、どの道を選ぶか決まりもしないのに辞めたって途方に暮れるだけだからだ。そういう冷静さはあった。

 

最善の道を選ぶために本を読んだりインカレに入ったり色々した結果、ひょんなことからぼくはとある障害者就労支援をするNPO法人インターンシップをすることになったのだが、インターンシップを始めてすぐ「最初の道はここだ!」と確信した。そのNPO法人の代表に惚れたからである。

 

30歳の若さで強力なリーダーシップを発揮し、優しくも厳しく、火傷しそうなほど熱いその男の元で修行したいと思った。数年間そうやって力をつけ、何かしらの起業をする。それが最善最速の道だと考えたのだ。




そういうわけで、大学2年の3月12日に冒頭のシーンになった。定期面談という名目だったが、ぼくの大学中退について話し合う場だった。

 

その日までに代表と約10人の社員全員と母から散々反対されていたにも関わらず、ぼくはこの場で代表も母も説得し、明日にでも大学を中退し、4月からこの法人に雇ってもらおうと本気で考えていた。

思想的にはともかく契約的には、柔軟な法人とは言え来月からいきなり雇用してもらうなんて無理に決まっているのに、なんとかなるだろうという無茶苦茶な考えをしていた。

 

母が泣きながら言った。

 

「あんたには障害があって、父親が外国人で、母子家庭でっていう3つの社会的な不安要素があるの。その上『明治大学卒業』っていう経歴まで無くなったらこれから先絶対に苦労するの」

 

中退してこのNPO法人に就職したいと打ち明けた1ヶ月前にも言われたことだった。それから今日まで、ほとんど口をきかずに過ごしてきた。

 

「だからさ、ぼくは起業するから学歴とか全然関係ないんだって。もし起業できなくて結局どこかに就職しなきゃいけなくなっても、ぼくは中退した理由をちゃんと合理的に説明できる自信があるし」

 

「あんたはそう思ってても、社会は実際にそうはなってないの!」

 

怒鳴る母をチラリと見てから、代表が口を開いた。

 

「大学を続けた方がいい理由は色々伝えてきたけど、全部もういいよ。今日まで俺にあんだけ詰められても負けないってことは、中退しても逃げグセはつかないだろうしね。

でも、お母さんが反対してるなら絶対に駄目だよ。大学は続けなさい。大学に行きながら同時にここで修行すればいいじゃん。卒業したら正式に雇うって約束するから。なんでそれじゃ駄目なの?」

 

「ですから、大学に拘束される時間が無駄なんです!」

 

ぼくは即座に言い返した。

 

「ぼくは将来多くの人を助けるんです。仮に1年間に1万人を助けられるようになるとして、2年間遠回りしたら2万人が不幸になる! だから、母は大好きだしできれば大切にしたいけど、たった1人の母のために2万人を犠牲にするわけにはいかないんです!」

 

常人にはおよそ理解できない思考だろうが、当時のぼくは本気でそう考えていた。だから焦っていたのである。

 

また母が泣きながら言った。

 

「お母さんにとってはそんな存在するかも分からない2万人より、あんたが大切なの! 何十年後かにあんたの言うことが本当だったって分かったらお母さんは土下座して謝るわよ。だから今はお母さんを恨んでもいいから、大学だけは卒業しなさい」

 

流石に、もう無理だと思った。どう考えてもこの場で母と代表を説得できるとは思えない。

中退自体を諦めたわけではなかったが、少なくともこの場は引くべきだと思い、ぼくはしぶしぶ口を閉じた。面談は終わった。



帰り道は本当に最悪の気分だった。

なんとか気分を紛らわせようと、ぼくは自分にとって1番のストレス解消になる場所に行った。漫画喫茶である。


ぼくは壁にぶち当たった時、しばしば物語に救いを求める。物語に出てくる生き様やセリフなどによって、その時の悩みがパッと解決することがよくあるからだ。

どこかに今のぼくを救う物語があるだろうか……。
そう思いながら本棚を眺めていると、あるタイトルに目が留まった。

 

罪と罰』である。

 

言わずと知れた、人の業を書いたドストエフスキーの大作。

原作の小説を読んだことはなかったが、『マンガで分かる』シリーズで非常にコンパクトにまとめられた漫画を読んだことならあった。

 

その内容はぼんやりとしか思い出せなかったが、なんとなくこの漫画を読んでみることに決めた。理屈では説明できない直感が働いたのかもしれない。

 

昔のロシアではなく現代の日本バージョンにアレンジしたその漫画は、ぼくが読んだ『マンガで分かる』シリーズよりもずっと丹念に書かれており、あまりのリアルさにあっという間に没入した。

 

この漫画の凄いところは、とにかく主人公のキャラクターにある。

彼は平凡に暮らしている大学生なのだが、「自分は本当はとてつもない能力と可能性を持った選ばれた人間なんだ」と強烈に信じており、そのことを示すために売春を斡旋している極悪女子高生を殺害する。

しかもそれだけでは済まず、その現場を目撃した罪のない女子高生をも殺してしまうのだが、なんと一切悪びれないのだ。

 

「悪を成敗した自分は間違ってない。罪のない女子高生を殺してしまったのも仕方がなかった。だってそうしなければぼくは確実に捕まっていたんだから。これから誰よりも偉くなり世の中を良くしていく自分が捕まってしまうのは社会の損失じゃないか!」

 

ぼくはこの男を、最低な人間だと思った。罪のない人を殺しておいて悪びれないなんてどうかしている。気味が悪いとさえ思った。

しかし、漫画を読みながら、ふと気がついたのである。

 

 

ぼくもこの男と同じじゃないか、と。

 

 

もちろん、ぼくは殺人なんて絶対にしない。だが違うのはそこだけで、「自分は社会を良くする有能な人間なんだから自分の未来の為なら誰かを傷つけてもいい」と考えている部分は全く一緒ではないか。

 

いや、そう考えてもいい場合があるとは思う。例えば会社を辞める時なんかはそう考えなければ無理だろう。

だがそういう場合でも、自分がかける迷惑や他人の痛みに謙虚に心を痛めながらそうするのと、ほとんど心を痛めずに傲慢にそうするのとでは全く違うのではないか。行動は同じでも、両者のその後の人生は天と地ほどに違ってくるのではないか。

 

漫画喫茶の個室で、ぼくは自分の心を見つめ返してみた。最近のぼくには、傲慢さがなかっただろうか?

 

 

大いに、あったと思った。

 

 

大学の授業に疑問を持たない学生を全員等しくバカだと決めつけ、その人たちにもその人たちなりの考えや葛藤があるかもしれないと想像しようとしていなかった。

 

毎日必死に働いているNPO法人の代表を尊敬しつつも、30歳にもなってこんな小さな組織でしか働けないのかと見下していた。

 

母がどれだけの想いでこれまでぼくを育ててくれたのか分かろうとしていなかった。母がぼくの将来を心配する気持ちには、汲む価値がないと思っていた。

 

あまりの自分の愚かさと恐ろしさに、気がついたら涙が出ていた。

天井を見上げながら、ぼくは思った。

 

 

このままお母さんを泣かせて大学を中退したら、ぼくはろくな大人にならないなぁ……。

 

 

何十年か先、もし本当に毎年のように何万人、何十万人救えるようになったとしても、その時のぼくの心はひどく曲がっているだろうなぁ。その曲がりを直すことはたぶん二度とできないだろうし、そんなねじ曲がった人が救える人の数は、結局限られてしまうだろうなぁ……。

 

今度は『罪と罰』の主人公を見つめながら、思った。

 

 

大学は続けよう。

 

 

学生のうちに色々勉強しておいた方がいいとか、お金が絡まない経験をたくさん積んでおいた方がいいとか、色々な人に色々なことを言われたけど、そんなこと全部関係ない。大学に通い続けるのは効率が悪いという考えも変わらない。

 

今あるぼくの傲慢さを直すため、そしてぼくの将来を心配する母の気持ちを汲むために、大学は卒業しよう。

 

漫画喫茶の個室でぼくは一人、十分ほど泣き続けた。

 

 

 

家に帰ると、お母さんがぼくに背を向けて台所に立っていた。

ぼくは深呼吸をしてから、「お母さん」と明るく言った。

 

「やめることにしたよ。大学を辞めるのは」

 

お母さんは振り返り、パッと笑顔になる……かと思いきや、憤怒の表情になり大声で怒鳴った。

 

 

「紛らわしい言い方をするのはやめなさい!」

 

 

ドラマみたいな言い方が通じるのは、ドラマの中だけらしいと学んだ。

 

 

 

その後ぼくは、イエスマンキャンペーンをやってみたり学生起業を目指してみたり、卒業まで色々な経験をした。

NPO法人インターンシップは試しに1回休止してみると、急に視野が広がり、やっぱりあのNPO法人に就職するのはぼくの夢への最善の道ではないと思い直した。もちろん素晴らしい会社だったけど、やはり非常に狭い視野に囚われていたなと思う。

 

人間関係も目に見えて変わった。母との関係が元通りになったのはもちろん、所属していたインカレや高校時代から付き合い続けている友達との関係が急に劇的に改善したのである。

 

それまではぼくが尖りすぎて問題を起こしまくり、かなり嫌われていたのだが、大学を続けることに決めた途端に急にみんなから好かれるようになった。自然と丸くなったんだと思う。

 

そして肝心のぼくの夢だが、道を順調に進んでいるかというと全くそうではない。

学生起業は諦め、学生最後の挑戦だった小説は失敗に終わり、卒業してから一流企業に勤めたものの4ヶ月で辞め、インフルエンサーを目指しているものの2年間結果が出せていないという散々な道を歩いている。

 

だけど、大学で得た経験も大学卒業後の経験も全て必要なものだったと思っている。これは負け惜しみでもこじつけでもなく本当に、全ての経験が糧になっていると実感しているからだ。あの時大学を辞めていたら、ありとあらゆる貴重な経験を得る機会を失っていただろう。

 

大学1年生の時、高校時代の恩師にこう言われたことがある。

 

「人生は長い。焦るな」

 

その時は全くピンと来なかったが、今は、この言葉の意味がよく分かる。