人生最大の転機 ー「根拠のない自信」が折れた話ー
これまで、ぼくの人生には大きな転機が3回あった。
1回目は、根拠のない自信が折れた高校2年の9月。
2回目は、将来の夢が決まった高校3年の2月。
3回目は、大学中退をやめることにした大学2年の3月。
どれもぼくの人生を劇的に変えた、革命的と言ってもいいぐらいの大きな転機だった。
3回目の転機の話はすでにブログに書いた。
2回目の転機の話も近い内に書こうと思っている。
今回は、1回目の話をしたいと思う。
自信が折れたと言うと悪いことのようだが、この体験がぼくという人間を劇的に改善させた。
今のぼくは全てこの体験を元に作られているから、3回の内でこれが最も大きな転機だったと言えるだろう。
ーーーーーーーーー
ぼくは小さい時から、全能感溢れる子供だった。
根拠なく自分は何でもできると思っていて、将来は地球温暖化を止めるとか1万円札の肖像画に載るとか本気で考えていた。
特に何かきっかけがあった訳ではない。気がついたらそういう人間になっていたのだ。
これは間違いなく、バングラデシュ人の父の遺伝子の影響である。父も全くそういう人間で、自分は誰よりも偉いとか国を救うんだとか本気で考え公言する人間だった。
実際にそれだけの能力が伴っているなら、そういう大口を叩いてもいいだろう。だが父は残念ながら、極めて無能な人間だった。
自分は誰かに雇われるような安い人間じゃないと言って会社を建てては潰し、また建てては潰しを繰り返して借金まみれになり、生活費すら家に入れない。
その上反省も学習も一切せず、自分を騙したあの人が悪いとか次は必ず上手くやれるとか言っては失敗を繰り返し、ついに高校2年の8月(ちょうどこの転機の話とほぼ同じ時期だ)に母の強い要望で離婚させられたのに、未だに少しも謙虚になっていないという恐ろしい人間なのである。
そんな父の遺伝子を色濃く受け継いでしまったぼくは、父と全く同じ精神と能力を持つ人間として育った。つまり、「実際には極めて能力が低いのに全能感に溢れている人間」である。
それでも小さい内から色々なことに挑戦していれば、早い内に「あれ? やっぱりぼくって無能じゃね?」と気づくと思うのだが、ぼくはずっとそういう気づきを得なかった。何の挑戦もしてこなかったからだ。
小学校は普通に友達とゲームをしているだけだったし、中学校は持病が悪くて部活に入らなかったので、アニメをひたすら見るだけの怠惰な毎日を送っていた。
そんな自堕落な日々を送っていることに空虚さや焦りを感じてはいたものの、自信だけは全く失っていなかった。
「今は何もやっていないから何の成果も出せていないだけだ。何かやりたいことを見つけて頑張れば、ぼくは誰よりもできる人間なんだ」
そう信じて疑わなかった。
挑戦しなければ失敗もない。自分の能力が未知数なのだから、できると思い込むのは簡単だった。
そんなぼくは、高校に入学してすぐ演劇部に入った。
「気まぐれに体験入部してみたら先輩方がキラキラしていて楽しそうだったから」というごく普通の動機で入ったこの部活が、ぼくの人生を全く違うものにした。
活動し始めてすぐ、ぼくは大きな違和感を感じた。
部員のみんなと全然仲良くなれないのだ。みんないい人たちなのにぼくとの間に明らかに分厚い壁があり、全く馴染めなかった。
それまでの人間関係ではそんなことはなかったらしばらく訳が分からなかったのだが、ある時やっとその理由に気がついた。
演劇部は、「目的意識のある集団」だったからだ。
ぼくはそれまで、一緒にテレビゲームやカードゲームをするだけのゆるい友達付き合いしかしてこなかった。そういう人たちとは、ただ明るくてちょっと面白いところさえあれば簡単に仲良くなれる。
だけど、目的意識のある集団はそうではない。
公演という目的を達成するためには、ただゲームをするだけよりずっと深いレベルで人間関係を構築する必要があるのだ。互いに空気を読み、気遣いをし、引くべき時には引き、怒るべき時には怒らなければならない。
ぼくが入った演劇部は年間300日ぐらい練習があるかなりしっかりとしたところだったから、求められるレベルは低くなかった。
母からやや過保護に甘く育てられ、小学校ではゲームだけをし、中学校でも帰宅部だったぼくは、演劇部という目的意識を持った集団でどう振る舞うべきなのか全く分かっていなかった。
小学生が高校のしっかりした部活に入ってしまったようなものだと考えてもらえれば、どんな感じか割と想像がつくのではないかと思う。
空気を読まずに行動する、ナチュラルに人を傷つける言動をする、引くべきところで前に出る……。大抵の黒歴史を笑って話せるぼくでも思い出すのが嫌になるぐらい、本当に酷いものだった。
それだけでも超ウザいのに、途中から全国大会に行こうなどと少年漫画の読みすぎにもほどがある夢を語り出したりして、もう本当に部員全員から引かれていた。
それでもぼくがメキメキと成長していくならまだ良かったのだが、それすらなかった。
顧問の先生は優しくも厳しかったから毎日のように叱ってくれていたし、演劇についても色々なことを教えてもらっていたにも関わらず、ぼくは約1年半、人間的にも演劇的にも全くと言っていいほど成長しなかった。
何故か?
ぼくが、自信満々だったからである。
いや、人間力や演技に自信があったという訳ではない。
空気読めてないなとかスベッたなとかいうことは流石に分かるし、演技も上手いとは全然思っていなかった。
だが、根本的なところに絶対的な自信があったのだ。
「今は色々なことが噛み合わなくてうまくいってないけど、ぼくは本当はめちゃくちゃできるヤツなんだ。だいたいぼくは脚本と監督を担当したら最高の劇を創ってみせるってずっと言ってるのに、その役割を任せてくれない顧問の先生が悪いんだ!」
典型的な、「俺はまだ本気を出していないだけ」状態である。
凝り固まった自信のせいで自分を疑うことをせず、他人の言葉を全て跳ね除けていた。だから成長しなかったのである。
そんなぼくに、高校2年の夏に転機が訪れた。
念願の脚本と監督を任せられたのである。
それらを任せられたのは意外にも、部活ではなくクラスの方だった。
9月にある文化祭の出し物で、ぼくのクラスはぼくが提案した演劇をやることになったのだ。脚本は投票制だったがぼくのプロットが通り(この時から物語を書くのはそこそこ得意だった)、その流れで監督も任せられることになったのだ。
「やっと脚本家と監督になれた!」とぼくは大喜びし、リーダーシップを発揮し素晴らしい劇を創っていくイメージを思い浮かべてニンマリした。
だが、そのイメージ通りにできるわけがなかった。そんな重い役割を担うのは初めてなのだから当然である。
脚本の完成を遅らせる、そのことを「忙しかったからしょうがないじゃん」と言い訳する、まだセリフを一行も書いていない役者を休みの日になんとなく呼び出して一日無駄にさせる、一生懸命仕事をしてくれてる人に対して「そんなチマチマとした仕事やらないで」と言う、何をどれぐらい買えばいいのか全く計算せずに大道具の材料を買いに行く、監督の代役を誰にもお願いせずに仕事を放り投げて部活に行く……。
あらゆる面において最悪の監督だった。本当に何もできていなかった。
そのせいで、クラスメイトのヘイトが恐ろしいほど溜まった。それまではクラスでは特に嫌われていなかったのにほぼ全員から嫌われ、呆れられ、怒られた。平和な風土の学校だったのでいじめられたりすることはなかったが、クラス中のヘイトを一身に感じる日々が何週間も続いた。
クラスメイトのみんなのおかげで文化祭当日には奇跡的にちゃんと形になった劇をお客さんに届けることができ、評判もけっこう良かったけど、ぼくの心はもうズタボロになった。
この体験を通して、ぼくは生まれて初めてこう悟ったのである。
「ぼくって、“できないヤツ”だったんだ」
そう思わざるを得なかった。望んだ役職を与えられ存分に能力を振る舞える日々を過ごしたのに、結果があの有様だったのだから。「本当はめちゃくちゃできるヤツなんだ」と言える逃げ道はもうどこにもなかった。
遺伝子レベルでぼくのことをずっと支えていた「自信」という超強力な柱が、ポッキリと音を立てて折れた。
それからぼくは、ガラリと変わった。
演劇部での振る舞いが全く違うものになったのである。
全国大会に行きたいなんて思わなくなり、信じられないほど丸くなった。
そして何より、顧問の先生の言葉がちゃんと響くようになったのだ。
先生は日々色々なことでぼくを叱ってくださったけど、突き詰めれば全ての教えは、
「人の気持ちを考えろ」
というものだった。
ぼくはずっとこの言葉の意味が分からなかった。「ぼくは人にめちゃくちゃ優しく接しているのにどうしてそんなことを言われなきゃいけないんだろう?」と不服に感じていた。
でも、自信が折れたおかげでもう一歩深く考えてみようと思えるようになった。
「もしかしたら先生の言っていることは正しいんじゃないか? ぼくの優しさは間違っているんじゃないか? 」
そう何日も延々と考え、ある日、ぼくはついに分かった。
「そうか! 相手の立場に立たなきゃいけないんだ!!」
そう、ぼくはいつも「自分が良いと思ったこと」をしていただけで、「相手がどう思うか」は一切考えていなかったのだ。
それではどれだけ優しくしているつもりでも、嫌われたり怒られたりするのは当然だった。
ぼくはそれから、あることを自分に課した。
「言動をする前に、必ず一歩立ち止まる」ことにしたのだ。
何か言いたいことがあってもいきなり言わず、「この言い方だと相手は傷つくんじゃないかな?」「今このタイミングで自分が発言したら、場の流れが止まっちゃうんじゃないかな?」と必ず立ち止まって考えるようにしたのだ。
これは、野球のバッターがイメージに近いと思う。
これまではボールを投げられたら何も考えずに全部バットを振っていたので、空振りしたりボールをとんでもない方向に打ったりしてばかりだった。
だが、バットを振る前にボールをよく見極めてみることにしたのだ。
しばらくはミットに入るまでの一瞬の間にどんなボールかすぐに見極めることができなかったので、多くのボールを見送った。口数は半減した。
だけど自分に投げられたボールをよく見たり、人がバッターボックスに立っている時の様子をよく観察したりするのを続けていると、少しずつ会話というものが分かってきた。
「このボールを打とうとしたら、たぶん空振りしたりファールになったりするな」
「このボールは得意なコースだから思い切り打って大丈夫だな」
「このボールは思い切り打てるだろうけど、チーム全体のためにはバントしておいた方がいいな」
しばらくは成績が変わらなかったが、その習慣を辛抱強く続けていたら、いつの間にか少し打率が上がっている自分に気がついた。
「あ、あれ…? ヒットが打てたぞ…??」
この喜びはなんとも言えないものだった。
これまでずーっとほぼ三振かファールしかできていなかったのに、ボールがバットの芯に当たる感覚を肌で感じることができたのである。これはとてつもない快感だった。
また、「思考」の面においても変化が訪れた。
たぶん同じ頃だったと思うのだけど、同期の男子部員がぼくにこう言ったのである。
「人間、考えないと駄目だと思うんだよね。考えないと人間じゃないと思う」
衝撃のセリフだった。
「考えないと駄目」なんて、ぼくはそれまで考えたこともなかったのだ。
その同期の男子部員はめちゃくちゃ仕事ができて人望も厚い、ぼくとは対照的な人間だったのだが、どうして同い年なのにこんなに大きな差があるのだといつも疑問に思っていた。
だがようやくその疑問が解けたのである。
「そうか、ぼくとこいつとの差の秘密は、『考えているかどうか』にあったのか!」
だとしたら恐ろしいことである。たった一点の違いで人生の明暗が分かれてしまうと言っても過言ではないのだから。
ぼくは思った。「考えないと!!」
それからぼくは常に、「考えろ」と自分に言い聞かせるようにした。
「考えろ」「考えろ」「考えろ」「考えろ」「考えろ」「考えろ」「考えろ」……
会話をする時も、気遣いをする時も、演技をする時も、言い過ぎなぐらい自分に言い聞かせ続けた。
するとちょっとずつ、「あれ、久保にしては考えたじゃん」みたいな反応をもらえることが増えてきた。
「一歩立ち止まって相手の立場に立つ」
「考える」
この2つを徹底的に意識し続けた結果、演劇部の人たちのぼくに対する反応が激変した。
11月11日の誕生日に、それまでずっとぼくに無関心だった同期の男子部員からチョッパーのぬいぐるみをもらった(いつも配信の時に映っているアレだ)。
クリスマス公演でぼくが演じたピエロの役のパフォーマンスをみんなから面白がってもらえた。
冬公演では誰よりも演技が上手いと言われた。
春公演で先生が怒って帰ってしまった時の反省会で、「誰よりも久保くんが的を射た意見を言うから」と司会を任された。
この間、文化祭が終わってからたったの半年間である。
自分でも信じられないほどの変化だった。
あるとき神藤ゆずかさん(「全然1番の友達じゃないわ笑」と言った人だ)に「演劇部内で1番成長したのは久保くんだと思う」と言ってもらったことがある。
1番かどうかは分からないけど、ぼくは確かにとてつもない成長をすることができたと思っている。
そんな奇跡が起きた理由は間違いなく、文化祭で自信がポッキリと折れたからだ。
あの時から全てが好転した。
根拠のない自信が折れたから、自分を疑うことができ、人の言葉をいたずらに跳ね除けず、素直に聞けるようになったのだ。
文化祭で脚本家と監督を担当してズタボロになる体験をしていなかったら、あの成長はなかっただろう。もしかしたら今でも、文化祭前と同じような人間のままだったかもしれない。
自信が折れて、本当に良かった。
ーーーーーーーーーーー
これで1回目の転機の話は終わりだが、この話を聞いて今、誰もがこう思っているだろう。
「いや、お前今また自信満々になってるし人の気持ち全然考えられてないやんけ。それが気になって全く話に集中できなかったわ」
と。
ぼくは正直、このツッコミに対してなんと答えたらいいか分からない。
この記事でぼくは次のように書いた。
rentalhanashiaite.hatenablog.com
だけど新たに意識することが増えた時、明確な「対比」が生まれた。
大半の人ができていないことが、自分はできている。
このことを客観的に感じるようになり、ぼくは生まれて初めて、「自分は話を聞くのが上手いんだ」と自覚した。
これが、ぼくが「自分は話を聞くのが上手い」と思うようになった経緯と根拠である。
(「客観的に感じるようになり」と言ったが、もちろん完全に客観的になれてはいない。どんなに俯瞰しているつもりでも結局は主観の域を出ないし、相手から好意的な評価を受けることもあったがお世辞である可能性が当然あるからである。だが少なくとも、「なるべく客観的であろう」という意識は常に持つようにしていた)
いつか別のところで詳しく話すと思うが、「話すのが上手い」というのにも、「優しい」というのにも、「論理的思考力が高い」というのにも、全て同じような経緯と根拠がある。
(中略)
ぼくは高校2年生の時までは、正しくない自信を持っていた。比較する対象がいなかったり無視したりしていたから、根拠なく自分はできる人間なのだと思い込んでいた(コミュニケーション力に関してとかではなく、ただ漠然と『自分はできるヤツだ』と思っていた)
だけど、今は違う。
ぼくは今話したような「対比」を通し、都度改善を繰り返し、少しずつ自信を積み上げていったのだ。
改善を繰り返してきた自分と改善を怠っているように見える他者を冷静に対比できているから、ぼくは「自分は優秀だ」と自信を持って言えるのだ。
そう、ぼくは「自信を持つこと」が悪いと思っているわけではない。「根拠のない自信」だけを持つことは良くないと思っているだけなのだ。
ぼくはあの文化祭の後から約9年間、対比と改善を猛烈に繰り返してきた。そうして「根拠のある自信」を積み重ねていったから、自信満々になっていたのだ。
(もちろんだからと言って、自分を疑うことをサボっているわけではない。「ぼくはなぜ誰からも認められなかったのか」というタイトルのブログ記事にも書いたように、「自信を持つこと」と「自分を疑うこと」は両立できる)
ぼくはこのワークショップ第2回の感想記事を読んだみなさんから、
「なるほど!レン話さんがやたら自信を持っていたのはそういう理由だったんですね!納得です!実際すごく上手に話を聞けてるし、自信を持っていていいと思います!!」
と言われると思っていたのだが、実際にはそういう声は全く上がってこなかった。
そのせいで「え、ええ……? ぼくの自信はやっぱり間違ってるってことなの……?」とかなり困惑し落ち込んだ。
そしたらその数日後に受けたワークショップの第3回で、ぼくの話の聞き方が急に褒められた。ぼくとしては全然自信のなかったところだったのだが、なぜか多くの人に高く評価してもらったのだ。
さらにその後も、自分ではむしろ酷い出来だと思っていたワークショップの感想記事が褒められ、参加させてもらった選択的夫婦別姓についての対話の様子も褒められ……。
もう訳が分からない。何に自信を持てばいいのか全く分からなくなっている。
人の気持ちを考えることに関してもそうだ。
レンタル話し相手の依頼者との会話など、1対1で話す時は相手は大抵気持ち良さそうな反応をしてくれる。怒らせたり「それは失礼じゃない?」と言われたりすることは滅多にない(もちろん、「1対1だと心の中でそう思っても面と向かって言いにくい」という要素は多分に考慮しなければならないが)。
この前の依頼者なんて「どうしてそんなに人の気持ちが分かるんですか? 心理学か何かを学ばれたんですか?」と言ってくれたほどだ。
だが、複数の人と話す場面になると途端におかしくなる。
ぼくはTwitterやツイキャスで息をするように失礼な発言を連発しているらしく、今のウォッチャーのみなさんからは「ナチュラルに失礼」と数えきれないほど言われている。
これはTwitterに限らず、高校の部活の人たちと会った時やお気に入りのバーでも似たような現象が起きている。
ぼくとしては複数の人と話す時も1対1で話す時と同じようにボールを良く見てからバットを振っているつもりなのだけど、なぜこうなってしまうのか全然分からない。
そういうわけで「何故か」という理由はさっぱり分からないのだが、1つだけはっきりしていることがある。
少なくとも今のぼくは、自信を持ったりそのことを公言したりすると、ろくなことがないということだ。悪いことしか起きない。
なのでしばらくは、ナチュラルに失礼な冗談とともに自信を持つことも封印しようと思う。そうすれば、思わぬところで新たな気づきや発見を得られるかもしれない。
たぶん、「自信がある」とか「自信がない」とか自分で決めてしまうのが問題なのだ。
ぼくが今受けているワークショップのタイトル、「『わからない』と思うための対話」のように、「分からない」状態でしばらく過ごしてみようと思う。