将来の夢が決まった話
前回の記事で、ぼくの人生の転機は3回あると言った。
1回目は、根拠のない自信が折れた高校2年の9月。
2回目は、将来の夢が決まった高校3年の2月。
3回目は、大学中退をやめることにした大学2年の3月。
1回目と3回目についての話はもう書いたから、今回は2回目の話をしようと思う。
1ヶ月前に話した、世界平和という夢を持つに至った経緯の話だ。
割と重く暗い話なので、今そういう気分になりたくない人は後で読んでくれた方がいいかもしれない。
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ぼくは大変な重病を持って生まれた。「内臓系の病気」「数十万人に1人の病気」ということ以上のことは言いたくないので言わないが、 ともかく生まれた時、お腹がぱっくりと割れていたという悲惨な状態だったらしい。
あまりにも珍しい症状だったのでぼくが生まれた小さな病院の医者はどうしていいか分からず、とりあえず割れていたお腹を縫ってくっつけた。
だがなぜか数日経つとまた割れてしまうらしい。ぼくは生まれてからなんと9ヶ月間もの間、お腹が割れたり閉じたりを繰り返している状態だったそうだ。
医者には「この子は一生歩けないと思います」とも言われ、母はずっと絶望的な気分で過ごしていた。
だが生後9ヶ月の時、たまたま大きい病院に移され、ある名医に診てもらえることになった。
その名医はぼくの病気や症状を知っており、一目でどうすればいいかが分かった。お腹が何度も開いてしまうのは骨盤が開いているせいであり、骨盤を切って閉じれば良いのだそうだ。
その名医は見事な手術で骨盤を閉じてお腹をくっつけ、他にも様々な処置を施し、ぼくの体をかなり健常な状態にしてくれた。
1番の問題は内臓にあるので一生付き合っていかなければならない病気だし、未だに痛みや苦労はあるが、普通に日常生活が送れる体にしてくれたのだ。
歩き方は、骨盤が完璧な形になったわけではないのでよく見たら少し変ではあるが、それだけだ。歩くことも泳ぐことも普通にできるし、調子がいい時は10kmを1時間で走ることだってできる。
それは本当に奇跡的なことである筈なのだが、ぼくはずっと、その奇跡に大して感謝をしていなかった。
何度か、誕生日などの大事な時に母から「あなたは生まれた時こんな感じだったのよ」と説明されていたが、「ふーん、そうだったんだ。でも今はほぼ元気だし、昔の話をされてもなんとも思えないよなぁ」と思っていた。
中学では病気が悪化し大きな手術をして2ヶ月ほど入院することがあったし、それからも卒業まで度々体調が悪くなっていた。だが大変だったのはそれくらいで、小学校は元気に楽しく過ごしたし高校でも演劇部の活動をほぼ不自由なく思う存分できていたので、自分の病気のことについて深く考えることはなかった。
だが高校3年の9月に、自分の病気と深く向き合うことになる出来事が起きた。
病気がまた悪化したのである。
久しぶりに、何度も内臓の痛みに襲われる日々が始まった。また入院して手術しなければならないかもしれないと何度か肝を冷やしながら、なんとか持ち堪えていた。
その時ぼくの所属している演劇部では、地区大会の練習をしていた。
脚本は同期の男子部員(「人間は考えなければ駄目だと思う」と言ったり、ぼくにチョッパーのぬいぐるみをくれたりした奴だ)が書いた『満月』というタイトルのものだったのだが、この脚本がぼくの人生を決定づけることになった。
『満月』には、こういうシーンがあった。
車に轢かれて全身不随になった女性のもとに、車で撥ねた男の人が謝罪に行く。だが、女性は笑ってこう言うのだ。
「いいんです、もう。ずっと続くと思ってた日常が、ある日いきなり終わる。人生ってランダムなんだなって。そのことに気がついただけでも、良かったと思ってるの」
演劇は、本番までに50回は同じシーンを繰り返し練習する。
ぼくはずっとこのセリフに全くピンと来ていなかったのだが、病気が悪化して数日経ったある日の練習中、もう何十回目か分からないこのセリフを聞いた時、稲妻に撃たれたような衝撃を受けた。
「人生ってランダムなんだな」
この台詞の意味が、突如として分かったのである。
人生は公平ではない。努力でどうにかできる部分もあるが、そうでない部分もたくさんある。
例えば、病気がそうだ。正しく生きた人や努力した人が健康になるわけでも、悪いことをした人や怠けた人が病気になるわけでもない。健康な体で生まれるか、病気を持った体で生まれるかは、完全にランダムなんだ。
ぼくは重い病気を持って生まれたけど、たまたま腕の良い医者に出会いほぼ健常な体に治してもらった。だからほぼ不自由なく生きることができ、今こそ痛みを抱え危機を感じているものの、演劇部というハードな活動を思う存分にできている。
逆に言えば、たまたま腕の良い医者に出会っていなければ、ぼくはこんな人生は歩めなかったかもしれないんだ。歩けなかったり、お腹が割れたままずっと病院のベッドから動けない生活をする人生だったりしたかもしれないんだ。
そう思った時、中学の時の入院生活で一緒だった人たちのことを思い出した。
4人部屋だったから、同じ部屋には年の近い3人の入院患者がいた。1人はどんな人だったか忘れたけど、1人はいつも1年のうち四分の一は入院しなければならない人で、1人は何年も病院から出られていない人だった。
当時のぼくはその人達を見ても大して何とも思わなかった。すごく冷たいが、「そういう体に生まれちゃったんだから仕方ないよな」と他人事に思っていた。
だが、「人生ってランダムなんだな」というセリフの意味が分かった時、その人達の人生は全然他人事なんかじゃないじゃないかと思った。
彼らは何か悪いことをしたからああいう体になったんじゃない。たまたまそういう体に生まれてしまっただけなのだ。ぼくが彼らと同じような人生を送っていた可能性だって十分にあるのだ。だって、人生はランダムなんだから。
ぼくはその時、自分の幸運に心から感謝した。あんなに重い病気で生まれたのにこんなに健常な体に治してもらえて本当に良かったと思った。
だが同時に、とてつもなく悲しい気持ちになった。たまたま重い病気を持って生まれたままそれを治してもらえず、ずっと苦しい思いをしている人たちが気の毒に思えてならなかったからだ。
同じ人間なのに、何も悪いことをしていないのに、ただの運で辛く苦しい目に遭っている人がいるという現実がすごく残酷に思えた 。
ぼくはそれから、この「人生ってランダムなんだな」という言葉についてずっと考えるようになった。
すぐに、「思えば病気以外のことだって全部そうじゃないか」と気がついた。
いじめや貧困や戦争で苦しんでいる人達だって、みんなランダムじゃないか。みんなただの不運で想像を絶するほど辛い目に遭っている。
重苦しい気分で、ぼくは世界中の不幸に思いを馳せた。
「あの人もこの人も、みんな不幸なランダムだ。なんて世界は残酷なんだ。だけどぼくにはどうすることもできない……」
そんなある日、ぼくは悪化した病気を診てもらうために、生まれた時からずっとお世話になっている大病院に行った。
複数の診察室を回るのだが、お昼に時間が空いたので、病院の中庭で母と一緒にパンを食べることにした。その時、ふとなんとなく視線を上げて、ぼくは固まってしまった。
10階くらいの窓から、子どもがこちらを見ていたのである 。
中学の時の経験から、たぶんあの階は入院病棟だと察しがついた時、思い出が蘇ってきた。
そうだ、ぼくも入院していた中学生の時、ああやって窓から外を見ていたんだった。
入院中一番辛いのは痛いことではなく、外に出られないことだった。病院の窓から高速道路や中庭を眺めては、「ああ、あの人達みたいに外の世界を楽しみたいな」といつも羨ましく思っていた。
その記憶をすっかり忘れていたぼくと、その子と目が合った。いや、遠くだったから目が合っていたような気がしていただけで本当はどうだったかは分からないが、とにかくぼくはその瞬間、胸の奥が冷えるような思いをした。
窓ガラス1枚を隔てた2人の境遇の違いを、まざまざと突きつけられたのだ。
彼は病院の外から出られないのに、ぼくは病院の外にいる。彼が謳歌したいと切望している外の世界を、ぼくはのうのうと生きている。あまりにも残酷じゃないかと思った。
パンを食べ終えて病院の中に入り、診察に呼ばれるのを待っている間、突然ぼくは猛烈に泣き出した。涙が止まらなかった。
母がぼくの様子に気がついた時、ちょうど診察に呼ばれた。診察室に入ると医者も驚いていたが、すぐに調子を切り替え、ぼくに優しく問いかけてくれた。
「どうしたの? 自分の病気がこれから先どうなるか分からなくて怖いの?」
ぼくは泣きながら答えた。
「違うんです。ぼくじゃなくて、重い病気を持つ人がたくさんいることが悲しいんです」
医者も母も戸惑っていた。
それからぼくの心は荒れに荒れた。
世界をどう捉えていいか分からなかった。急に学校の授業が無意味で滑稽だと感じられ、何度もバックれた。学校に行く途中の電車をフラリと降りて渋谷を徘徊した。怖そうな人や寄付金を募る人や選挙演説をする人を見ながら、ぐるぐると取り留めもなく色々なことを考えた。
そんな風に過ごしていたらある日、演劇部の顧問の先生(「人の気持ちを考えろ」と何度も叱ってくださった先生だ)に呼び出された。彼が担当している数学の中間試験で0点を取ったからである。
0点を取った理由を聞いてくれた先生に悩みを話すと、先生は優しくこう言ってくれた。
「久保の抱えている悩みはすごくいいと思う。だけど、その悩みって解決するのか?」
意外な質問に、ぼくは少し戸惑ってから答えた。
「解決しません」
「そうだろ。だから、解決するまでそういう風に過ごすわけにはいかないんだよ。悩みながら頑張るんだよ」
その言葉が、ぼくにはストンと落ちた。
確かにそうだ。いつまでもこうやっていたら、ぼくは卒業さえ危うくなってしまう。
ぼくはこの言葉でだいぶ持ち直した。もう授業はバックレなくなり、元の明るい自分に戻った。
これは先生の言葉になるほどと思ったというのもあるけど、「先生のために頑張ろう」と思えたのが大きいと思う。
頑張る意味なんて漠然と考えたってなかなか気力が湧かないけど、「自分が大切に思っている誰かのため」と考えれば分かりやすい。人は人のためなら頑張れるんだということを学んだ。
だがやはり、心の中ではずっと悩み続けたままだった。人の前では明るく振る舞っていても心の中にはずっと暗雲が立ち込めていて、いつもくよくよと悩んでいた。
そんな状態のまま、ぼくは卒業する直前の1月に入院をした。悪化した病気を治すために手術をすることになったからだ。
変な話だが、ぼくはこの手術がすごく楽しみで、 痛く苦しい思いをしたいと思っていた。そうすることで、ぼくも不幸なランダムに近づけると思ったからだ。
ぼくはただ不幸なランダムが存在することだけが嫌だったのではない。自分が大した努力も苦労もせず、幸運なランダムでいられることが辛かったのだ。
自分も苦しい思いをすれば、「自分だけが楽な思いを……」と思い詰めずに済む。流石に手術の成功は祈っていたが、一時的に思い切り痛く苦しい思いをすることを望んでいた。
幸いにも、手術は成功した。本当に良かったと胸を撫で下ろした。
だが、苦しい思いをしたいという望みの方は叶わなかった。麻酔がちゃんと効いていたし回復も順調だったからだ。
ぼくはひどく落ち込んだ。
「また幸運なランダムになってしまった。これでぼくはもしかしたら一生、不幸なランダムと一緒になれないかもしれない……」
そんな時、1冊の小説がぼくを救った。
伊坂幸太郎の、『 SOS の猿』である。
入院中は暇だろうからと入院前に本屋に行き、 裏表紙の「三百億円の損害を出した株の誤発注事件を調べる男と……」というあらすじを読んで「なんか面白そう」と思って買うことにした、本当に何気なく買った本だった。
ベッドの上で本を開き、5ページ読んでぼくは目を疑った。
主人公が、世の中にある不幸にくよくよと思い悩む人だったのだ。
たとえば救急車のサイレンの音が聞こえた時、彼はこう思うのである。
「どこかで誰かが、痛い痛いって泣いてるのかな」と。
どうにかしてあげなければ。だが自分には何もできない……と、無力感に押しつぶされそうになる主人公の様子を見て、ぼくは本当に驚いた。「この主人公、今のぼくと全く同じじゃないか……」
三百億円の損害を出した株の誤発注事件に興味を惹かれて買った本なのに、一体どういう偶然なんだろうと思った。
ぼくは貪るようにその本を読んだ。主人公は物語の至る所でくよくよし無力感に苛まれるのだが、最終的には一体どうなるのだろうと気になって仕方がなかった。
終盤のクライマックスで大きな事件が終わったというのに、主人公の悩みは消えない。だがその後に、主人公が救われる、こういうシーンがあった。
主人公が街を歩いていると、向こうに友達の姿が見えた。手を振って駆け寄ろうとすると、再び救急車のサイレンの音が聞こえて来るのだ。
どこかで誰かが痛い痛いと泣いている。だが自分には何もできない。
またその無力感に苛まれ、主人公はがっくりと膝をつきそうになる。だがその時、主人公の友達が肩を叩き、こう言うのだ。
「それでいいんですよ。いつまでも、くよくよしてればいいんですよ」
主人公は顔を上げて聞き直す。
「くよくよしてていいんですか?」
その友達は笑みを浮かべ、ゆっくりと答える。
「一生、くよくよは続きます」
その言葉で主人公は体の重みがすっと消え、解放感に包まれる。そういうシーンだった。
このシーンを読んだ時、主人公が救われるのと同じタイミングで、ぼくも救われた。
「そうか、くよくよしてていいんだ。 不幸なランダムは世の中にある。本当に残酷だけど、無数にある。それは事実だ。そして、ぼくが今のところ幸運なランダムであることも事実だ。それらは動かせない事実なんだから、そのことを受け入れて、くよくよしながら頑張るしかないんだ」
小説のセリフの内容自体は、先生が言ったことと同じなのかもしれない。
だが、これは本当にうまく言えないのだが、ぼくはこの小説のセリフによって、先生の言葉を受けても残っていた心の深い闇を晴らすことができた。
5ヶ月間心にのしかかり続けた重みが消え、ぼくはくよくよしながら、しっかりと前を向くことができた。
小説を最後まで読み終わったぼくはベッドから起き上がり、点滴台を引きながら病室を出て窓際まで歩いて行った。中庭が見える方とは反対側の窓だ。
右側にはテニスコートが、左側には住宅街が、真ん中には高速道路があった。そして全体には、綺麗な青空が果てしなく広がっていた。
その広大な景色を眺めながら、ぼくは思った。
「この広い世界でぼくは、幸運なランダムのぼくは、どう生きたらいいだろう 。
2度も幸運に救われたのだから、ぼくはこの健康で自由な体を不幸なランダムのために使うべきなんじゃないか。
そうだよ。自分のためでも、自分の身の回りの人のためでもなく、不幸のランダムのために使おう。それもできるだけ多くの人を救おう。
だって、不幸なランダムは無数にいるんだから。国もジャンルも関係ない。世界中の不幸なランダムを救おう。世界平和を実現しよう」
強く、そう心に決めた。
そうしてぼくはあり得ないほど大きな夢を持ち、前を向きながら、高校を卒業した。
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これがぼくが将来の夢を決めた経緯だ。
この時から約7年半の月日が経ったが、今までこの夢は1度もブレたことがない。
そういうわけで、バカで子どもじみた夢だと思われるだろうが、そしてそれは当然だから全然いいのだが、ぼくは大真面目だし本気なのだ。
ただ、ほとんどの人はやっぱり不可解に思うと思う。
「『自分の力でできる範囲の人助けをしよう』でいいじゃないか。なんでいきなり『世界平和』とかいうとんでもない規模の話になってしまうんだ」と。
何故そうなってしまうのか、ぼくにも分からない。「そういう人間だから」としか言いようがない。
なんでも大きく考えてしまう父親の遺伝子を受け継いだせいで、なんでもいきなり最大の規模で物事を考えてしまうのだ。小学生の時は地球温暖化を止めたかったし、高校の演劇部でも全国大会に行きたかった。
高校2年生の時に自信が折れてやっとまともになれたと思ったが、その1年半後にこの夢を持ってしまった。この習性は生涯変わらないんだと思う。
まぁでも、それでいいのだ。夢を持つだけなら自由だし、ぼくはちゃんと挫折できる人間だからだ。自分の強みが分かるし、それを努力して伸ばせるし、頑張っても限界が見えたらちゃんと諦めることができる。(大学時代は挑戦と諦めの連続だった)
ぼくはただ、やる前から諦めることが嫌だから、最初は最大を設定しているだけだ。もう手を尽くしてどう見ても限界が見えているのに、当初の望みや費やしたコストを諦められず何年も時間を無謀にしてしまう馬鹿ではない。だからそこは安心してほしい。
ちなみに、ぼくにあるのは利他的な気持ちだけでは全くない。
この夢を持った時はもう自分のことなんてどうでもいいと本当に心から思った。高校の3年間が楽しすぎて、もう自分は十分に幸せな人生を謳歌しきったと感じていたからだ。
だが卒業してからの7年半で、ぼくはあまりにも傷つきすぎた。いくらなんでも孤独な日々を過ごしすぎた。
なので正直言うと、今はほぼ自分を救いたいという思いしかない。世界のことなんか全然考えられない。
だからまずは、不幸すぎる自分を幸せにすることに全力を尽くすつもりだ。
たくさんお金を稼いで一人暮らしをして高いものをいっぱい買って、フォロワーを増やして承認欲求を満たしてモテて彼女を作りたい。そういう煩悩の塊である。
だけど、それでいいとぼくは思っている。色々なところで何度か言っているが、利己的な欲求というのはそれ自体は何の害もないからだ。
利他的な気持ちよりも優先して自分の欲望のために誰かに損害を与えたりすることは問題だが、ぼくはそういうことはしないと固く決めている。依頼を受けた時はいつも相手ファーストに徹しているつもりだ。
そういうわけでしばらくはほぼ自分のために頑張るが、それでも問題はないし、自分を幸せにした後であればまた、他人のために自分の人生を使いたいと思うようになるだろうと思う。
早く自分を救いたい。そして夢を始めたい。
レンタル話し相手の活動で成功しさえすれば、どちらも叶うのだ。
活動を始めて1年半もの間芽が出なかったが、この1ヶ月でようやく少しだけ上手く行き始めている。この波にうまく乗れれば、有料化の依頼が殺到するところまで本当に持っていける。そうすれば全てが始まる。
あともう少しだけ、頑張ろう。